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「最強のスイッチヒッター」松永浩美が語る 令和の野球が「投高打低」な理由(1)

2024年のプロ野球も佳境を迎えつつあるが、今季は例年にも増して投高打低の傾向が際立っており、9月24日現在で3割打者は、サンタナ選手、長岡秀樹選手(いずれも東京ヤクルト)、近藤健介選手(ソフトバンク)の3名しかいない状況だ。※トップ画像/筆者撮影

Biểu tượng fopv vbvqbakaduThiên nga Junichi | 2024/09/24

現役時代はシーズン打率3割を7回記録。阪急、阪神、ダイエーの3球団で通算1904安打を積み重ね「史上最強のスイッチヒッター」と言われた松永浩美氏に、1980〜90年代と現代のプロ野球の違いや約30年間に起きた変化について伺った。

3割打者がわずか3人。2024年のプロ野球に松永浩美が感じること

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筆者撮影

――2024年のプロ野球は投高打低の傾向が際立っており、両リーグでもわずか3名しかいません。野手の打撃成績が全体的に落ち込む現状をどのようにご覧になられていますか?

松永:今年もそうですが、昨年も首位打者の頓宮裕真選手(オリックス)は打率が.307、宮﨑敏郎選手(横浜DeNA)の打率が.326でしたから、数字だけを見るとやっぱり少し寂しい感じはしますよね。

――野手の成績が落ち込んでいるのは「“飛ばないボール”を使っている影響もある」と言われています。

 松永:“飛ばないボール”とよく言われますけど、岡本和真(巨人)や山川穂高(ソフトバンク)辺りは、例年と変わりなく打球を飛ばしていますから。

僕は、多くの選手は飛距離が伸ばせなくなってきている1番の要因は、打球の“打ち方”に原因があると思っているんですよ。だから、選手それぞれが打球の飛ぶような打ち方を探して、それを実行していくことが大切なんじゃないかと感じます。

――現代の選手は打球を飛ばせなくなっているんでしょうか?

松永:いや、決してそんなことはないです。むしろ個人的には、1980〜90年代の本塁打打者の方が、令和の選手たちよりもバットを振っていなかったような感覚があるくらいなんですけど…。

現代の選手はバットを振る時“タメ”がなくなっているように感じていて、それが成績の低迷につながっているんじゃないか。少なくとも僕はそのように思っています。

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筆者撮影

――“タメ”とはどのようなものですか?

松永:打撃を語る時には、「バットを構える」、「後ろに引く」、「前に振り切る」の3要素が大切だと言われています。

でも、今の現役選手を見ていると、僕が“タメ”と呼んでいる「バットを後ろに引く動作があまり見られないな…」と思っていて。そのせいで速球に詰まったり、思うようにインコースを捌けなくなっているんじゃないかなと感じています。

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©YDB
横浜DeNAベイスターズ対オリックスバファローズの試合に登場し、変わらぬ姿を見せた。

――なるほど。ちなみに松永さんは、現役時代にどのような感覚で打席に立っていましたか?

松永:僕の場合はバットを平行に回すよりも、斜めに肩を入れて「くの字」のような状態にして打つことを意識していました。バットを後ろに引くことで、ボールとバットの距離が生まれ、詰まった当たりでも力で押して打球が飛ばせるようになるんです。

当時は「ゴルフのようなスイングをしてはいけない」と言われることもありましたけど、MLBで活躍している大谷翔平選手も身体を斜めにしながら、バットを後ろに引いて打っていますからね。現役時代の僕が意識していた身体の使い方は間違っていなかったと思っていますし、現代野球にも通じる部分があるのではないかと感じています。

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大谷翔平(出典/Getty Images)

――松永さんが“タメ”を意識するようになったのはなぜですか?

松永:僕が現役の頃に思うような結果が残せなかったことがあって、3冠王を獲得した落合博満(当時、ロッテ)さんと自分のフォームの連続写真を照らし合わせながら、「どうすれば飛距離を伸ばせるのか?」を考えたことがあるんですけど…。

写真を見ながら違いを調べていくと、僕のフォームはバットの引きが少なく、写真が1枚分少なかった。でも。その違いに気づいてバットを後ろに引くようにしたら、打撃の成績もだんだん上向いて、結果が残せるようになったんです。

――なるほど。「速球派の投手が増えたこと」を投高打低の理由に挙げる論調も見られますが、こちらについての見解はいかがでしょうか?

 松永:そうですね。確かに全体の平均球速は速くなりました。でも、だからと言って「ボールの打ち方を大幅に変わらない」と僕は思っているんです。

僕が現役の頃も、158㎞のボールを投げる伊良部秀輝(当時、千葉ロッテ)と対戦していました。打席で対峙した伊良部投手のストレートは確かにとても速かったですけれど、それでも「まったく手が出ない」という感じではなかった。実際にヒットも打てていましたし。

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筆者撮影

――野手の皆さんが速球派投手を打ち崩すにはどうすれば良いでしょうか?

 松永:平均球速の上がった現代のプロ野球で成績を残せている選手のほとんどが、打つ時に身体の後ろにバットを少しだけ引いているんです。

対照的に成績が伸び悩む選手はバットを引けていないですし、引いた時に出来る「割れ」もない。「割れ」と言う言葉は知っていても、「それをきちんと実行出来ている選手は少ないな…」と思っています。

――中日の立浪和義監督も「割れ」を選手に指導されていたそうです。松永さんは「割れ」をどのように捉えていますか?

 松永:まずはバットを引いて、正面で打つことを意識しながら、バットを出していくと、肩が落ちて身体が『くの字』のようになる。僕の場合は、肩を落とす場所を意識しながら打席に立っていました。

ただ頭で理解したつもりでも、首から上の部分と下半身の動きは、イメージしているものとどうしてもズレが出てきてしまう。なので、僕が選手を指導する時には「ズレに気付き、出来る限りそれを無くしていくように…」と伝えているんです。

――松永さんは鹿児島県で活動を続けるカミチク軟式野球部で、後進の指導にあたられていますが、そこではどのような指導をされているんですか?

松永:一番は、先ほどお話しさせていただいたような身体の使い方に関するアドバイスです。軟式の野球部なので、プロが使う硬式球とは違いがありますが、それでも僕が現役時代に意識していた身体の使い方を選手に伝えたら、選手たちの打球が面白いほど飛ぶようになったので、みんな驚いていましたよ。まだ創立2年目ですが、徐々に力をつけてきているので、今後が楽しみです。

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筆者撮影

――何か秘訣があるんですか?

松永:実は、上半身の大きな筋肉を使ってバットを振るような指導をしているからなんです。でも、現代の選手たちは、無意識に手の力に頼りすぎてしまっている選手が意外に多い。手の筋肉は小さいので、そのぶん打球の速さに対応することが難しくなってしまうんです。上半身の大きい筋肉を軸に身体を回転させて、手は添えるだけでいいんですよ。

――「ボールは上から潰すように打つ」と指導されたことがあります。

 松永:確かに、そうやって言われていました。でも「潰すように打つ」と指導している選手やコーチも、実際に打席に立つとアッパースイングをしていることが多いですから。昔の指導者は言葉とやっていることが合っていないようなケースがありましたけど、現代ではそのズレがだいぶ少なくなってきたんじゃないかなと思います。

山本由伸は理想的。良いボールを投げる身体の使い方

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山本由伸(出典/Getty Images)

――守備や投球については何かアドバイスをされていますか?

 松永:日頃から伝えているのは「ボールを投げる時に肩ではなく、腹筋を使う」ということかな。

例えば、山本由伸投手(ドジャース)はあまり足を上げないフォームで投球しています。一見すると手の動きが目立ちますが、彼が速いボールが投げられるのは、しっかり腹筋と背筋を使えているからなんです。手の筋肉を使って投げると、多分すぐに疲れてしまうと思いますが、大きな筋肉を使って投げると、キャッチボールを続けていくにつれてどんどん腕が軽くなっていくような感覚がある。野球の上達には、身体の使い方を理解しながら練習することが大切だと僕は思っています。

――「体幹」を鍛えることはやはり大切なんですね。

 松永:そうです。僕が現役だった頃には「体幹」のことを「軸」と呼んでいましたけど、色々な人から『身体の中心に杭を打たれたような感覚で、軸を動かさずに野球をやらないと……』とよく言われていました。

結局は昔も今も求められるものは変わっていなくて、鍛えられた身体にメンタル、そして技術の3つがないと、成績を残し続けるのは難しいんじゃないかなと思います。

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筆者撮影
松永浩美(まつなが・ひろみ)
1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

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