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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.25 「意外と(?)インパクトが強いW杯でのアシックススパイク編」

今までお昼の国民的テレビ番組に登場したサッカースパイクはアディダス(内田選手)、プーマ(長谷部選手)、そしてアシックス(乾選手、大迫選手)だと思います(他にあったらご容赦下さい)。 今回は、80年代前半まで国産サッカースパイクでは圧倒的シェアを誇りながら、W杯のデビューは国内メーカー初になれなかったアシックススパイクのW杯での私的雑感です。

Biểu tượng 29634314 1815368455432881 1085668874 oHiroaki Konishi | 2018/10/05
(1974年W杯でオーストラリアのオールストン選手はオニツカタイガーのスパイクを使用していたようです。調査不足でいい加減なことを書いてしまい大変申し訳ありませんでした。以下は参考程度にご覧ください。)
79年のワールドユース東京大会で準優勝だったソ連チームは上から下までアシックスで(図1右)、パラグアイのエース・ロメロ選手もアシックスのスパイクを履いていました。 
また、80年EUROでは多くのギリシャ選手のスパイクがアシックスでした(左)。

当時のEURO本戦は8チームしか出場できなかったので(現在は24ヵ国)、日本メーカーが参入するのは大変なことだったと思います。 

しかし、その後ギリシャ代表は94年W杯まで主要大会に進めず、ソ連や他の外国チームの選手が82年、86年のW杯でアシックス製品を使うことはありませんでした。   

Ngón tay cái efbc92Hình 1 80năm EURO(イタリア開催)でルムメニゲ選手をマークするペトロス選手(左上)。ソ連のCCCPは懐かしいですね。   

アシックススパイクが80年代のW杯で使われないでいる間に、86年W杯でミズノスパイクを履いたカレッカ選手が5得点も決めました。 

おそらく86年大会の全出場選手中で、ブラジル代表のカレッカ選手とシーラス選手(サンパウロ所属で、90年大会は背番号10)お二人しかミズノ使用者はいませんでしたが、アシックスは国産スパイクのW杯デビュー及び初ゴールもミズノに先を越されてしまいました。 

しかし、次の90年大会ではアシックススパイクもW杯デビューしました。主な使用選手はイタリアやイングランド代表だったと思います(図2右)。 

ブラジル代表はカレッカ選手の活躍の影響か、90年大会ではミズノ使用者が激増しました(左)。 

しかし、意外にもカレッカ選手と同じくサンパウロに所属していたミューレル選手はアシックスを履いていました(86年大会ではアディダス・コパムンでした)。  

Ngón tay cái efbc93Hình 290Năm W杯当時のミズノ、アシックスの広告。   

そのミューレル選手は予選リーグ2戦目のコスタリカ戦で得点を挙げました(図3左)。 おそらくこれがアシックススパイクのW杯初得点だと思います。

さらに、次戦のスコットランド戦でミューレル選手はあのロマーリオ選手と交代出場し、得点しました。 アシストしたのはカレッカ選手で、日本製スパイクのコラボで得点が生まれました(左から2枚目)。 

その後、お二人は柏レイソルでもプレーされました(ミューレル選手は半年だけでしたが)。ミューレル選手は92年のトヨタカップぐらいからミズノに替えられたようで(訂正 87年のコパアメリカからミズノでした)、Jリーグではパラメヒコでした(右から2番目)。 

カレッカ選手は日本ではマイターにしたようですが、ソールはミズノの時もあったようです(挿入写真)。 

さて、次の94年大会では、ブラジル代表のスパイクの主流はミズノからナイキになってしまいましたが、開催国がアメリカだったのがミズノにとっては不運だったのかもしれません。 

それでも、94年大会はマルシオ・サントス選手(右)がミズノスパイクで得点を決められ 、カレッカ選手は90年大会でも得点しており、98年、02年リバウド選手(02年は森島選手も)、ここ3大会(10、14、18年)では本田選手や岡崎選手が得点しています。 06年はミズノで得点した選手がいない気がしますので、クロアチア戦の「急に・・・」の場面は、86年大会からのミズノスパイクW杯連続得点記録という意味でも、会社としては入れて欲しかったかもしれません。 

他国のミズノ愛用選手が決めていたらご容赦いただければと思いますが、あの場面で決めていれば日本人ミズノ使用者連続得点が5大会続いていたようです。 

Ngón tay cái efbc94Hình 3 (左)アシックススパイクがW杯で初得点した時。 (左から2番目)アシックススパイクの2点目。9番がカレッカ選手。 (右から2番目)Jリーグでのお二人。

この時のユニフォームは全チームミズノですが、現在のレイソルはヨネックスで、どうもラケット系のイメージがしてしまいます。挿入写真はカレッカ選手のスパイクでミズノのようなマイター。
(右)94年大会のマルシオ・サントス選手。   
90年大会はアシックスにとって記念すべきことばかりではありませんでした。 

この大会、イングランドは準決勝まで進みましたが、その試合は西ドイツとの延長・PK戦でした。 最後にPKを外してしまったのはワドル選手でした(図4左)。 

また、この試合では、西ドイツ・ブレーメ選手のシュートをブロックしたボールが不運にもGKシルトン選手の頭上を越えて得点されてしまいました。 

ブロックしたのはパーカー選手で(中央、右)、ワドル選手、パーカー選手はアシックスを履いていました(他の選手は別メーカー)。 

しかし、ワドル選手は延長でポスト直撃の惜しいシュートがあり、同点に追いつくリネカー選手のゴールはパーカー選手のクロスボールからでした。 

Ngón tay cái efbc95Hình 4 ワドル選手をなぐさめるマテウス選手。
スパイクはワールドカップで(左)、ブレーメ選手(中央)はワールドカップSL
です。右は中央の別角度写真。
  

また、アズーリのアシックス使用選手についてですが、90年大会のエースFWとして期待されたビアリ選手(図5,21番)は、突如現れたスキラッチ選手の脇役に徹し、得点を挙げることができませんでした。 

準決勝(アルゼンチン戦)も途中でセレナ選手と交代し、結果的にPK戦でセレナ選手が外してしまい敗れました。 残念ながらイタリアもイングランドも敗れ、アシックスはW杯初登場での決勝戦使用スパイクにはなれませんでした。 

バレージ選手は90年と94年大会はアシックスのスパイクを履いて活躍されました。 94年大会2戦目での重傷から復帰して、決勝に戻ってきた話は有名ですが、PK戦ではバッジョ選手とともに外してしまいました(右)。 

優勝したブラジルにはミズノ使用者がいたため、国産初の決勝戦使用スパイクとしては両メーカー引き分けでしたが、W杯覇者使用スパイクの称号は、またミズノが先に得ることになりました。

Ngón tay cái efbc96Hình セレナ選手(左、90年大会)とバレージ選手(右、94年大会)をなぐさめるパリューカ選手。   

しかし、その嫌な流れを払拭したのが、06年大会のアズーリカラーのアシックスを履いたグロッソ選手の活躍だったと思います。 

世紀の退場事件で印象が薄い感じですが、決勝のPK戦のラストキッカーでしたし、準決勝ドイツ戦では延長後半に決勝点まで挙げています。 (個人的に)意外だったのは決勝の対戦相手フランスのマルダ選手もアシックスを履いていました(こちらは赤)。 

また、アシックスは各W杯でそれほど使用選手が多いわけではないですが、98年にはラウドルップ(弟)選手、10年にはディナターレ選手がアシックススパイクで得点しています。   

Ngón tay cái efbc97Hình 6 左からグロッソ選手、マルダ選手、ブライアン・ラウドルップ選手。ブライアン選手もアシックスの前はお兄さん同様、パトリックユーザーでした(挿入写真)。   

私にとってのアシックススパイクは、世界の舞台を目指していた日本代表のギアの印象が強いです。 

87年ソウルオリンピック予選の国立での主将加藤久選手ら代表メンバー、93年ドーハの柱谷(哲)選手、ラモス選手がアシックスを履いて奮闘しました。 

加藤選手、ラモス選手は今年殿堂入りしましたが、レリーフのみならず、当時の使用スパイクもあればぜひ一緒に飾ってほしいものです。 

図7左は比較的新しいモデルのようですが、80年代のモデルを彷彿とさせてくれます。 日本が惜しくも出られなかった94年大会に話を戻して恐縮ですが、ミズノは使用選手が減少した一方で、韓国代表選手がアシックスのインジェクター2002に似たモデルで活躍しました。 得点した3人(徐正源選手、洪明甫選手、黄善洪選手)はアシックス使用者でした。

この大会はドイツに惜敗しましたが、ロシア大会でリベンジしたのは快挙です。 ただ今回のW杯は、日本が初めて韓国よりもよい成績だったのは誇らしいことだと思います。


Ngón tay cái efbc98Hình 左上がインジェクター840(カンガルー革)、左下がシャペ870(カーフ革)。 840は後の名品2002(右上)の元モデルらしいのですが、自分の年代はやはり左のマークが見慣れています。90年代前半までのモデルはソールの補強金具がないようです。 

右下はJリーグでも活躍した94Năm W杯の洪明甫選手と黄善洪選手。 90年大会では後の代表監督・崔康熙選手がアシックスを履いていたようです。   

日本製でありながら、(昭和の頃と違い)W杯に出場するようになってからの日本代表選手のアシックススパイク使用率はそれほど高くはないと思います。 

初出場の98年大会ではユニフォームがアシックスで、唯一の得点の起点となるクロスを上げた相馬選手のスパイクはアシックスでした。 プーマスパイク使用者が多い昨今の正GKですが(それはそれで個人的には嬉しい)、川口選手はアシックスでした。 

02年は日本開催だったにもかかわらず、アシックス使用者で試合に出ていたのは中田(浩)選手ぐらいだったでしょうか。中田選手もW杯初勝利の試合では、稲本選手のゴールの起点になっていたと思います。 

この大会アディダスを履いていた三都主選手は06年大会ではアシックスにし、玉田選手のブラジル戦のゴールをアシストしました。 

10、14年大会の日本代表では影が薄かったアシックスですが、ロシア大会ではメンバー中2人しかいなかったアシックスユーザーの乾選手と、(前回はナイキだった)大迫選手が印象的なゴールを決めました(大迫選手は頭でしたが) 。 

残念ながら新しく始動した日本代表にはアシックススパイクを履く選手がいないそうですが(大迫選手は昨日代表復帰されたようです)、ロシア大会で不完全燃焼だった選手には、カタール大会ではぜひアシックススパイクでの強烈な活躍を、ミズノ愛用選手には大会連続得点の更新を期待したいものです。 国産両メーカーのスパイクは世界一の経験があるのですから。  

余談ですが、現役バリバリのプロサッカー選手で、スパイクをアシックスからミズノに(またはその逆)したのはミューレル選手以外それほど多くはないと思います。 

野球の場合、守備の良いスター(菊池選手、今宮選手、坂本選手など)や、ピッチャー(松坂選手など)のグローブ契約は国内メーカー間でもすごく熾烈のようです。 これもまた国内プロスポーツとしての歴史の長さゆえんなのでしょうか。   
さて、不肖筆者と当サイト発起人の金子さんの対談が現在掲載され、連載しております。 

キングギア発起人金子達仁氏×ビンテージスパイクコレクター小西博昭氏「西ドイツ製PUMAスパイク」を語る
vol.1  http://king-gear.com/articles/922
vol.2  http://king-gear.com/articles/925


そちらでも昔のスパイクにまつわる小ネタを盛り込んでいますので、ぜひお楽しみいただければ幸いです。   

(画像はサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン、ゲッティイメージズ、アフロなどから引用)   



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