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池田信太郎さんインタビュー ~2度オリンピックに出場した男のこだわりとは~

HEROs AWARD2019にアンバサダーとして出席されていた池田信太郎さんに、バドミントンをする上でこだわっていたギアの話や現在の活動などを聞かせて頂いた。

Biểu tượng 16466945 810048175800857 1247399717 nKoike Kikuchi | 2020/01/21
――2015年に引退されましたが、現役当時のこだわりについて聞かせてください。まずはラケットについてです。  

池田:基本的に長さはどれもほぼ一緒です。2008年の北京オリンピック、2012年のロンドンオリンピックに出場しましたが、北京の時は男子ダブルで、ロンドンの時はミックスダブルスで潮田(玲子)さんと組んでいました。   

北京の時は、強い攻撃をするというよりは、相手の攻撃をうまく自分たちの攻撃に変わるような起点となるようなゲームメーカーの役割でした。   

その為、ラケットはなるべく軽過ぎないというのはもちろんですけれども、ディフェンスがしっかり出来て、ゲームメイクが出来るような、全体的なバランスがいいラケットを使っていました。

ロンドンでは潮田さんと組んでいて、僕は後方から凄くハードに打たないといけなかったので、ヘッドが走るようなラケットを使っていました。どちらかと言うと重心がヘッドにあるような形のラケットです。

ーーガットはどのように調整していたんですか?

池田:ガットのことをストリングと言いますが、ストリングには必ず「この人!」と言う職人を指定して調整してもらっていました。   

ストリングって気圧によって緩んだりするんですよ。海外遠征に行くと、日本で5本張ったとしても向こうに着いたら3本緩んでるようなことが結構あるんです。

そういうことがないように、1週間たってもストリングが緩まないうまい職人がいて、その方にお願いをして海外に持っていってました。
  

――海外遠征は気圧の関係などで大変なんですね。  

池田:シャトルを打つストリングのテンションが変わるだけで、打感が結構変わるのでその辺はこだわっていました。ラケットもですが、どちらかというとストリングの硬さや、自分のフィット感にこだわっていたんです。   

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――打感など繊細な世界なんですね。シューズへのこだわりはありましたか?   

池田:足の甲が広いので、なるべくワイドなシューズを使っていました。   

バドミントンはテニスと違って、上に飛んで前に出たり、上に飛んで後ろに下がったりするので慣性の法則で、真ん中に戻らないといけないんです。でも重心は全て外向きにかかるんです。   

電車で例えると、急ブレーキをかけると乗客は前に進むじゃないですか。慣性の法則で物は止まっても物質は動いてしまうんです。

バドミントンでも前に行くと足は止まってますが、上肢は前に行っちゃうんです。それを足で止めないといけないくらい、グリップがしっかりあるシューズが必要ですね。   

また、止まる時に必ずしも足は真っすぐではなく、少し斜めや横になるので、変な話、捻挫しちゃうこともあります。

その為、ちょっと傾いたとしても受けるダメージが少ない柔軟性があるシューズが良いですね。   

――プレー中はシューズにしか頼れないですもんね。オーダーメイドのシューズだったのですか?   

池田:いえ、オーダーではなく既製品を使ってました。   

――どこのメーカーですか?   

池田:今の契約はヨネックスで、現役の頃はラケットはウィルソン、シューズはアディダスでした。北京の時は全てヨネックスでした。   

――バドミントンはヨネックスが多いですよね。シューズをはじめとしてバドミントンの動きに適したギアなんですね?  

池田:シェアが大きいですよね。専門性があり、バドミントンをプレーする全ての人にフィットするようなシューズやラケットだと思います。   

――現在はどんな仕事をされているんですか?   

池田:企業でコンサルタントをしています。ラグビーワールドカップが終わり、東京オリンピック・パラリンピックがやってきます。

オリパラに投資をしているスポンサー様や、「オリパラを契機に自社の観光業を成長させたい、スポーツで海外のメディアが注目している中で自社の事業やモノを多くの方々に認知してもらいたい」という企業のPRのストラテジーを考えるグローバルなエージェンシーなんですが、そこでコンサルをしています。   

――インテリジェンスが問われそうな仕事ですね?   

池田:考えることは出来ますが、いざ成果をだすとなるとなかなか難しいんですよ(笑)   

(了)   

【Hồ sơ】  

生年月日:1980年12月27日 

身長:175cm 体重:68kg  

出身校:筑波大学   

筑波大学卒業後、日本ユニシス株式会社入社。   

2004年 日本代表に初選出され男子ダブルスで頭角を現す。   

2006年 全日本総合選手権大会で初優勝。      
YONEX OPEN JAPANでは日本人として16年ぶりのベスト4入り。

2007年 世界選手権で日本人男子初となる銅メダルという偉業を成し遂げる。   

2008年 全英オープンで21年ぶりベスト4進出、同年8月北京五輪出場。
  

2009年 ミックスダブルスに転向を表明。同時期に所属会社とプロフェッショナル契約を締結、日本人初のプロ選手となる。   

2012年 ロンドン五輪出場を果たすものの、1勝2敗でグループリーグ敗退。     

同年のYONEXOPEN JAPANでベスト4進出しミックスダブルとして有終の美を飾る。男子ダブルスに活躍の場を求め、海外選手とペアを組みワールドツアーに参戦。
  

2014年 株式会社エボラブルアジアと所属契約を締結。 

2015年 9月開催のYONEX OPEN JAPANで30年の競技キャリアの幕を閉じた。     

また、同年3月BWF(世界バドミントン連盟)アスリートコミッションに日本人としては初の立候補しTOP当選を果たした。
  

現在は競技普及に尽力しつつ、2020年東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会アスリート委員会WG2のリーダーとして成功に向けて注力している。

※avex managementのHPより引用 
https://avex-management.jp/artists/athlete/IKEDA