友として、ライバルとして。江村美咲と向江彩伽の2人が切磋琢磨し続けた先に見据える未来【前編】
「日本のスポーツ界をアップデートする」という、太田雄貴会長の強烈な意思の元で、次々と新たな施策を打ち出し、スピード感を持って改革を推し進めているフェンシング協会。その中でも、昨年、ひときわ大きな話題をさらったのが、東京グローブ座で行われた第71回全日本フェンシング選手権の決勝の舞台だった。エンターテインメント性を前面に押し出した決勝の舞台は、フェンシングのことを知らないスポーツファンがワクワクしてしまうほど、豪華な演出だった。 既存のマイナースポーツの概念を一蹴するエポックメイキングな出来事となったこの大会の中で、筆者が注目していたのは、女子サーブル決勝のカード、「江村美咲vs向江彩伽」だ。同い年で、中央大学フェンシング部に所属する彼女らに、東京グローブ座という大舞台で剣を交えたことをどのように感じたのか。そして、彼女らは自らの未来をどのように描いているのか。日本フェンシング界の新しい未来を作っていくであろう女子サーブルの江村美咲(20)と向江彩伽(20)の両選手に、話を伺った。
Taisuke Segawa
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2019/01/08
– まず、先日の全日本選手権の決勝の舞台はどのように感じましたか?
(江村)ステージに上がった時の第一印象は、お客さんの顔がしっかり全部見えるなと。暗いので、お客さんの顔は見えないと思っていたのに、一番奥のお客さんまで顔がしっかり見えて、いつもよりも見られている感じて、すごく緊張しました。
(向江)私は小さい頃、ダンスをやっていたので、ステージに立つ経験はあったんですけど、フェンシングでは、あのようなステージで試合をやるのは初めてで、すごくワクワクしました。大会前から、太田会長を筆頭に決勝の舞台を準備してくださっていたのは知っていたのですが、いざステージに立ってみると、想像以上にお客さんに観られているなっていう感覚もあって、そんな舞台でフェンシングができてとても楽しかったです。
– お二人とも、はじめからあの決勝に立つイメージはできていたのでしょうか?
(向江)優勝したいって公言していましたが、それでも半信半疑というか、自分に自信を持ちきれずにいたのは事実です。でも、(駒沢体育館で行われた)予選を勝ち進んでいくうちに、「絶対にグローブ座に行きたい!」っていう気持ちがどんどん高まっていきました。
(江村)私は、1年前の全日本選手権の決勝戦で、一本勝負(14-14の場面で、最後にポイントをとったほうが勝ち)の場面で、相手に一本取られて、負けてしまいました。この時の悔しさを晴らすために、今回は絶対に優勝するって決めていました。当日の朝は、その時の映像を見て、もう二度とあの悔しさを味わいたくないって自分に言い聞かせてから家を出ました。
– お二人とも、高いモチベーションで大会に挑むことができたわけですね。まさに、太田会長の言う通り、アスリートファーストな大会でしたね。そのような革新的な大会で、幼い頃からしのぎを削ってきた2人が決勝で剣を交えたことは、何か今後を示唆している気がしていますが、まず読者の方に知ってもらう意味でも、2人がフェンシングを始めたきっかけと、どのように出会ったのかを教えてください?
(江村)私の場合、両親がフェンシングをやっていたので、7歳から剣を握っていました。小学校2年から6年までフルーレをやっていたんですが、小6のある時、サーブルの大会があって、その優勝景品が欲しくて、大会に出てみたいって言ったのを覚えています。たしか、優勝商品はあるキャラクターのパズルで、いま思うと全然可愛くないんですけど、その時はすごく欲しくて大会に出ました(笑)。たった4人の戦いだったんですけど優勝して、パズルももらえたし、何より勝てる喜びが味わえたので、中学校入学前にはサーブルに転向していました。
(向江)私は生まれが福岡なんですけど、小学生の時に、JOC(公益財団法人日本オリンピック委員会)が行なっているタレント発掘事業に入っていました。そこで、いろんなスポーツを経験したんですけど、たまたまフェンシングをやっているときに、同じ体育館にフェンシング日本代表が合宿に来ていて、当時のコーチや強化本部長の方に声をかけてもらって、トライアウトを受けてJOCエリートアカデミー(以下、アカデミー)に入ることになりました。
– では、二人はアカデミーから一緒だったんですか?
(江村)ちょうど中学に入学した頃が最初の出会いでしたね。向江選手らが東京に来てサーブルをすることになったんですけど、私自身は、その時はアカデミーには入っていなかったんです。ただし、一緒に練習を見てもらっていたので、そこで初めて顔を合わせたんだと思います。でも、最初はあまり話しなかったような気がします。
(向江)そうだったっけ(笑)。私はアカデミーに入ったときに、一緒に練習する子がいるっていうのは聞いていました。美咲は中3までアカデミーには入っていなかったんですけど、毎日一緒に練習していたし、カデやジュニアの合宿もほとんど一緒だったので、東京に出てきてからずっと一緒にいる感じですね。
– 普段、多くの時間を一緒に過ごしているのに、試合ではライバルとして感情をむき出しにして戦うって、どんな心境なんでしょうか?
(江村)国際大会に出れば、団体戦で一緒に戦う仲間っていう意識もあるので、仲間意識の方が強いのかもしれませんね。ただ、国内大会の時は、個人戦でお互いにライバルになるので、その時だけは、バチバチに火花を散らします(笑)。特に、今回の全日本選手権は、例年よりも決勝の舞台に立ちたいという想いが強かったせいか、試合前の雰囲気は、自分自身も周りも、今までで一番ピリピリしていたように感じました。
(向江)そう?私はそこまで考えていませんでした。大会前は、グローブ座に行きたいっていうよりも、まずはメダルを取ることを目標にしていたので、練習中に周りがピリピリしているのは、あまり気がつきませんでした(笑)。
– なるほど。決勝の時は、お二人ともかなり大きな声を張り上げて、互いにバチバチやっていた印象でした(笑)。お二人とも声は出す方ですか?
(向江)はじめの頃は、コーチから声を出すようにずっと言われて、意識して声を出すようにするんですけど、いつのまにか自然と声を出すようになっていきますね。
(江村)私の場合、自然に声が出る時もありますけど、うまくいかなかったり集中できていない時に、無理やり叫んで気持ちを上げていくこともあります。だから、試合は友達には見られたくないです(笑)
– 決勝の舞台は、AbemaTVで放送されていましたが、周囲の反響はいかがでしたか?
(江村)観たよって、いろんな方から言ってもらえました。
(向江)そうですね。私もです。でも、「ルールがわからない」ってみんなに言われました(笑)。
後編へ続く
Phỏng vấn / văn bản / ảnh:Taisuke Segawa
(江村)ステージに上がった時の第一印象は、お客さんの顔がしっかり全部見えるなと。暗いので、お客さんの顔は見えないと思っていたのに、一番奥のお客さんまで顔がしっかり見えて、いつもよりも見られている感じて、すごく緊張しました。
(向江)私は小さい頃、ダンスをやっていたので、ステージに立つ経験はあったんですけど、フェンシングでは、あのようなステージで試合をやるのは初めてで、すごくワクワクしました。大会前から、太田会長を筆頭に決勝の舞台を準備してくださっていたのは知っていたのですが、いざステージに立ってみると、想像以上にお客さんに観られているなっていう感覚もあって、そんな舞台でフェンシングができてとても楽しかったです。
– お二人とも、はじめからあの決勝に立つイメージはできていたのでしょうか?
(向江)優勝したいって公言していましたが、それでも半信半疑というか、自分に自信を持ちきれずにいたのは事実です。でも、(駒沢体育館で行われた)予選を勝ち進んでいくうちに、「絶対にグローブ座に行きたい!」っていう気持ちがどんどん高まっていきました。
(江村)私は、1年前の全日本選手権の決勝戦で、一本勝負(14-14の場面で、最後にポイントをとったほうが勝ち)の場面で、相手に一本取られて、負けてしまいました。この時の悔しさを晴らすために、今回は絶対に優勝するって決めていました。当日の朝は、その時の映像を見て、もう二度とあの悔しさを味わいたくないって自分に言い聞かせてから家を出ました。
– お二人とも、高いモチベーションで大会に挑むことができたわけですね。まさに、太田会長の言う通り、アスリートファーストな大会でしたね。そのような革新的な大会で、幼い頃からしのぎを削ってきた2人が決勝で剣を交えたことは、何か今後を示唆している気がしていますが、まず読者の方に知ってもらう意味でも、2人がフェンシングを始めたきっかけと、どのように出会ったのかを教えてください?
(江村)私の場合、両親がフェンシングをやっていたので、7歳から剣を握っていました。小学校2年から6年までフルーレをやっていたんですが、小6のある時、サーブルの大会があって、その優勝景品が欲しくて、大会に出てみたいって言ったのを覚えています。たしか、優勝商品はあるキャラクターのパズルで、いま思うと全然可愛くないんですけど、その時はすごく欲しくて大会に出ました(笑)。たった4人の戦いだったんですけど優勝して、パズルももらえたし、何より勝てる喜びが味わえたので、中学校入学前にはサーブルに転向していました。
(向江)私は生まれが福岡なんですけど、小学生の時に、JOC(公益財団法人日本オリンピック委員会)が行なっているタレント発掘事業に入っていました。そこで、いろんなスポーツを経験したんですけど、たまたまフェンシングをやっているときに、同じ体育館にフェンシング日本代表が合宿に来ていて、当時のコーチや強化本部長の方に声をかけてもらって、トライアウトを受けてJOCエリートアカデミー(以下、アカデミー)に入ることになりました。
– では、二人はアカデミーから一緒だったんですか?
(江村)ちょうど中学に入学した頃が最初の出会いでしたね。向江選手らが東京に来てサーブルをすることになったんですけど、私自身は、その時はアカデミーには入っていなかったんです。ただし、一緒に練習を見てもらっていたので、そこで初めて顔を合わせたんだと思います。でも、最初はあまり話しなかったような気がします。
(向江)そうだったっけ(笑)。私はアカデミーに入ったときに、一緒に練習する子がいるっていうのは聞いていました。美咲は中3までアカデミーには入っていなかったんですけど、毎日一緒に練習していたし、カデやジュニアの合宿もほとんど一緒だったので、東京に出てきてからずっと一緒にいる感じですね。
– 普段、多くの時間を一緒に過ごしているのに、試合ではライバルとして感情をむき出しにして戦うって、どんな心境なんでしょうか?
(江村)国際大会に出れば、団体戦で一緒に戦う仲間っていう意識もあるので、仲間意識の方が強いのかもしれませんね。ただ、国内大会の時は、個人戦でお互いにライバルになるので、その時だけは、バチバチに火花を散らします(笑)。特に、今回の全日本選手権は、例年よりも決勝の舞台に立ちたいという想いが強かったせいか、試合前の雰囲気は、自分自身も周りも、今までで一番ピリピリしていたように感じました。
(向江)そう?私はそこまで考えていませんでした。大会前は、グローブ座に行きたいっていうよりも、まずはメダルを取ることを目標にしていたので、練習中に周りがピリピリしているのは、あまり気がつきませんでした(笑)。
– なるほど。決勝の時は、お二人ともかなり大きな声を張り上げて、互いにバチバチやっていた印象でした(笑)。お二人とも声は出す方ですか?
(向江)はじめの頃は、コーチから声を出すようにずっと言われて、意識して声を出すようにするんですけど、いつのまにか自然と声を出すようになっていきますね。
(江村)私の場合、自然に声が出る時もありますけど、うまくいかなかったり集中できていない時に、無理やり叫んで気持ちを上げていくこともあります。だから、試合は友達には見られたくないです(笑)
– 決勝の舞台は、AbemaTVで放送されていましたが、周囲の反響はいかがでしたか?
(江村)観たよって、いろんな方から言ってもらえました。
(向江)そうですね。私もです。でも、「ルールがわからない」ってみんなに言われました(笑)。
後編へ続く
Phỏng vấn / văn bản / ảnh:Taisuke Segawa