偶然の連続でビジャのパートナーに(Vol.1)
Học viện bóng đá DV7 được điều hành bởi David Villa, người vừa nghỉ hưu từ Vissel Kobe, và hoạt động tại 7 thành phố ở 6 quốc gia trên thế giới. Trường tiếng Nhật thứ 7 sẽ khai giảng vào mùa xuân này. Chúng tôi đã hỏi ông Takehiko Ono và ông Ryosuke Miyake của So Good Group, những người đã trở thành đối tác của Villa tại Nhật Bản, về quy trình.
Koike Kikuchi
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2020/02/17
――まずはビジャのスクール「DV7 Soccer Academy」(以下DV7と表記)の事業パートナーとなったきっかけを教えてください。
Ono:昨年6月ごろから、前職のZOZOを退任することになって、次は起業をしようと考えていました。
もろもろ準備活動をする中で、この隣にいる三宅と出会い、また、DV7と出会ったんです。20代で一度、I T分野での起業を経験していたのですが、今回はより、自分がやりたいことをやる会社を作りたいなと思いました。
左が三宅亮輔氏、右が小野壮彦氏
――どんな会社を立ち上げたのですか?
Ono:日本人が世界に挑戦することは凄く素敵だと思うんですよ。そういう方々を後押しする会社をやりたいと思いました。
具体的には海外に強い、マネジメント会社をやりたい。スポーツやエンタメ、カルチャー分野の才能ある方々が所属してくれる会社で、その方々をサポートし、世界的に活躍していく日本人を一人でも多く輩出していきたいと考えています。
僕自身もこれまで、海外とビジネスでの繋がりがあったので、それを活かせますし、結構前になりますが、ヴィセル神戸で取締役として3年間仕事をしたので、そこで培ったサッカー界との繋がりなどを通じて、事業展開できたらと考えています。
また、三宅との出会いも、僕のサッカー業界への復帰に後押しをしてくれました。三宅は20代の頃から独立して、広告代理店を経営しているのですが、彼自身はもともと、期待されたサッカー選手でした。
三宅:僕は中学・高校と大宮アルディージャの下部組織でプレーし、東洋大学までずっとサッカー漬けの日々を生きてきました。
怪我もあり、プロにはなれず、挫折したので、あえて、しばらくはサッカーから離れていたのですが、今回のきっかけで、やっぱりサッカーに携わっていきたいと思いなおしたのです。
Ono:「一緒に何か出来たら面白いね」と僕らが動き始めている中で、僕の尊敬するスポーツマネジメントの世界の方から、ビジャのビジネスパートナーの、ビクトールを紹介してくれたのです。
ビクトールが単独で東京に来た時に食事をして、「今度、スペインに来る時があったらまた会おうよ」という、よくある社交辞令を交わしました。
普通はそれで終わるのでしょうが、僕からその後、ふと思い出して、「5月末にドイツに行くけど。ついでにスペインにも行こうかな。います?」と半ばノリで、メールをしました。
すかさずビクトールから、「マドリードでチャンピオンズリーグの決勝があるよ」と連絡がきて「最高じゃん!行こう」と。
マドリードでは3日間くらいずっとビクトールと一緒にいて、食事や飲みながら色んな話をしました。
そこから話は盛り上がり、「そしたらさ、もう少し滞在延ばして、ビジャの実家(アストゥリアス州)に、明日行こうよ」という話になりました。「ビジャの家族にも会えるし、環境も見ていた方が良いよ」と。
実は、ビクトールと話している中で、「日本人の若手選手や、プロになる手前の選手をスペインに早い段階で行かせて、下部リーグから上がっていくルートを作るのは意義があるよね。
他のヨーロッパの国を経てからスペイン。ではなく、最初からスペイン。の方が、絶対飛躍できるはず」と力説したんですよ。
「それなら、ビジャの故郷に、DV7が持つプロクラブと、良い環境があるので見に行かないか」と。それで、気がついたら翌日、プロペラ機に乗っていました。
アストゥリアスに着いて、待っていてくれた女性は、ビジャのお姉さんでした。
ひととおり街を案内してもらった後、ビジャの家族全員を紹介してもらいました。現地では4時間くらいかけてランチをするのですが、お父さんがとても陽気な人で。なんというか、昭和の名物親父って感じの人なんです。
やたら強い酒を大量に飲まされまして(笑)、言葉はカタコトしか通じないのですが、日本サッカーについて議論していました。気がついたら大親友になりましたよ。
――まさにノミュニケーションですね(笑)
Ono:それで、本当の意味でのビジャの「ファミリー」になりました。ビジャがデビューしたスポルティングヒホンのスタジアムを見に行ったり、オビエドの総合大学や、選手が住む場所やトレーニング施設を見せてもらいました。
あとは、ジャネーラ(UD Llanera)というクラブも見に行きました。そこはビジャのお姉さんと旦那さんがオーナーで、経営権を持っている4部のクラブです。4部ですが、ジュニアからトップチームまで全部あります。
――育成もしっかりしてるんですね。
Ono:こういう環境だったら、スペインに挑戦したい日本人選手も、やりやすいかもと思いました。日本にゆかりと愛着のあるビジャのチームなので、一定のレスペクトをされますし、しっかりファミリーが面倒を見てくれるだろうと。
スペインは、4部の試合でも、スカウティングの網の目が張り巡らされていまして。良いプレーをすると、すぐ引き上げられるそうです。ここだったら、海外挑戦の良い受け皿になるなと確認できたのです。
「なんか一緒にやりたいね」とビクトールと話している中で、まずは日本でビジャのスクール(DV7)をやるべきだという話になりました。
Vol.2へつづく
HỌC VIỆN SOCCER DV7
https://www.dv7soccer.jp/
小野壮彦
27歳で起業。楽天に、統合され、社長室にて勤務。イタリア留学を経て、Jリーグ・クラブVissel神戸の取締役に就任。クラブの企画運営全般の責任者を担う。05、06シーズンは強化・育成部門に転じ、チーム編成、選手契約等全般に従事。ZOZOの海外展開責任者を経て、2019年So Good Group設立。
三宅亮輔
大宮アルディージャ下部組織出身。独立系広告代理店にて副部長として従事後、2016年に独立し(株)Pay Forwardを創業。広告代理業、イベント、キャスティング、キャンペーン等を展開。2019年So Good Groupに参画し、スポーツ領域でのマネジメント、プロモーション関連業務にあたる。
Ono:昨年6月ごろから、前職のZOZOを退任することになって、次は起業をしようと考えていました。
もろもろ準備活動をする中で、この隣にいる三宅と出会い、また、DV7と出会ったんです。20代で一度、I T分野での起業を経験していたのですが、今回はより、自分がやりたいことをやる会社を作りたいなと思いました。
左が三宅亮輔氏、右が小野壮彦氏
――どんな会社を立ち上げたのですか?
Ono:日本人が世界に挑戦することは凄く素敵だと思うんですよ。そういう方々を後押しする会社をやりたいと思いました。
具体的には海外に強い、マネジメント会社をやりたい。スポーツやエンタメ、カルチャー分野の才能ある方々が所属してくれる会社で、その方々をサポートし、世界的に活躍していく日本人を一人でも多く輩出していきたいと考えています。
僕自身もこれまで、海外とビジネスでの繋がりがあったので、それを活かせますし、結構前になりますが、ヴィセル神戸で取締役として3年間仕事をしたので、そこで培ったサッカー界との繋がりなどを通じて、事業展開できたらと考えています。
また、三宅との出会いも、僕のサッカー業界への復帰に後押しをしてくれました。三宅は20代の頃から独立して、広告代理店を経営しているのですが、彼自身はもともと、期待されたサッカー選手でした。
三宅:僕は中学・高校と大宮アルディージャの下部組織でプレーし、東洋大学までずっとサッカー漬けの日々を生きてきました。
怪我もあり、プロにはなれず、挫折したので、あえて、しばらくはサッカーから離れていたのですが、今回のきっかけで、やっぱりサッカーに携わっていきたいと思いなおしたのです。
Ono:「一緒に何か出来たら面白いね」と僕らが動き始めている中で、僕の尊敬するスポーツマネジメントの世界の方から、ビジャのビジネスパートナーの、ビクトールを紹介してくれたのです。
ビクトールが単独で東京に来た時に食事をして、「今度、スペインに来る時があったらまた会おうよ」という、よくある社交辞令を交わしました。
普通はそれで終わるのでしょうが、僕からその後、ふと思い出して、「5月末にドイツに行くけど。ついでにスペインにも行こうかな。います?」と半ばノリで、メールをしました。
すかさずビクトールから、「マドリードでチャンピオンズリーグの決勝があるよ」と連絡がきて「最高じゃん!行こう」と。
マドリードでは3日間くらいずっとビクトールと一緒にいて、食事や飲みながら色んな話をしました。
そこから話は盛り上がり、「そしたらさ、もう少し滞在延ばして、ビジャの実家(アストゥリアス州)に、明日行こうよ」という話になりました。「ビジャの家族にも会えるし、環境も見ていた方が良いよ」と。
実は、ビクトールと話している中で、「日本人の若手選手や、プロになる手前の選手をスペインに早い段階で行かせて、下部リーグから上がっていくルートを作るのは意義があるよね。
他のヨーロッパの国を経てからスペイン。ではなく、最初からスペイン。の方が、絶対飛躍できるはず」と力説したんですよ。
「それなら、ビジャの故郷に、DV7が持つプロクラブと、良い環境があるので見に行かないか」と。それで、気がついたら翌日、プロペラ機に乗っていました。
アストゥリアスに着いて、待っていてくれた女性は、ビジャのお姉さんでした。
ひととおり街を案内してもらった後、ビジャの家族全員を紹介してもらいました。現地では4時間くらいかけてランチをするのですが、お父さんがとても陽気な人で。なんというか、昭和の名物親父って感じの人なんです。
やたら強い酒を大量に飲まされまして(笑)、言葉はカタコトしか通じないのですが、日本サッカーについて議論していました。気がついたら大親友になりましたよ。
――まさにノミュニケーションですね(笑)
Ono:それで、本当の意味でのビジャの「ファミリー」になりました。ビジャがデビューしたスポルティングヒホンのスタジアムを見に行ったり、オビエドの総合大学や、選手が住む場所やトレーニング施設を見せてもらいました。
あとは、ジャネーラ(UD Llanera)というクラブも見に行きました。そこはビジャのお姉さんと旦那さんがオーナーで、経営権を持っている4部のクラブです。4部ですが、ジュニアからトップチームまで全部あります。
――育成もしっかりしてるんですね。
Ono:こういう環境だったら、スペインに挑戦したい日本人選手も、やりやすいかもと思いました。日本にゆかりと愛着のあるビジャのチームなので、一定のレスペクトをされますし、しっかりファミリーが面倒を見てくれるだろうと。
スペインは、4部の試合でも、スカウティングの網の目が張り巡らされていまして。良いプレーをすると、すぐ引き上げられるそうです。ここだったら、海外挑戦の良い受け皿になるなと確認できたのです。
「なんか一緒にやりたいね」とビクトールと話している中で、まずは日本でビジャのスクール(DV7)をやるべきだという話になりました。
Vol.2へつづく
HỌC VIỆN SOCCER DV7
https://www.dv7soccer.jp/
小野壮彦
27歳で起業。楽天に、統合され、社長室にて勤務。イタリア留学を経て、Jリーグ・クラブVissel神戸の取締役に就任。クラブの企画運営全般の責任者を担う。05、06シーズンは強化・育成部門に転じ、チーム編成、選手契約等全般に従事。ZOZOの海外展開責任者を経て、2019年So Good Group設立。
三宅亮輔
大宮アルディージャ下部組織出身。独立系広告代理店にて副部長として従事後、2016年に独立し(株)Pay Forwardを創業。広告代理業、イベント、キャスティング、キャンペーン等を展開。2019年So Good Groupに参画し、スポーツ領域でのマネジメント、プロモーション関連業務にあたる。