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JOYインタビュー vol.1『フットボールへの情熱とアーセナルユースでの経験を語る

明るく親しみやすいキャラクターで人気のJOY。イギリス人の父と日本人の母を持ち、群馬県で育った39歳の彼は、モデルやタレントとして活躍しつつ、自らフットサルチーム「FCゴースト」を率い今もピッチに立ち続ける。サッカー選手との深い交流を持ち、スカパー「ブンデスリーガマンスリープレビュー Pre Meister」ではその豊富な知識を披露。 Vol.1では、JOYがサッカーとの出会いからアーセナルユースでの経験を通じて、現在に至るまでの軌跡を探る。

Biểu tượngIppei Ippei | 2024/08/28

3歳から始まったJOYとサッカーの物語

ーーJOYさんのサッカーとの出会いは、どんな感じだったんですか?

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撮影/長田慶

僕が3歳くらいのとき、元気すぎて家で遊ばせるのが無理だって親が思ったみたいで、何かで疲れさせないといけないってことで、サッカースクールに入れられました。でも、普通は3歳じゃ入れないところだったんですよ。

それでも特別に入れてもらって、自然にサッカーをやるようになりました。だから、物心がつく前からやってた感じです。今、うちの娘も3歳なんですけど、この年齢で僕も始めてたんだなって思うと、不思議な気持ちになりますね。

ーーそこからサッカーにのどうのめり込んでいった感じですか?

結局、3歳なんて自分でやりたいことがあるわけじゃないじゃないですか。強制的に始めさせられたんですけど、気づいたらそれしかないから、それが大好きになっていったんです。幼稚園ぐらいのころから「サッカー選手になりたい」って思い始めましたね。Jリーグとかもまだなかったけど、「いつかこれでご飯を食べていきたい」っていう意識になっていきました。最初からすごく楽しかったです。

ーー当時の所属チームはクラブチームですか?

自分が入ったのはクラブチームでした。地元では結構強いチームで、年齢によってチームの名前が分けられているような、4つか5つぐらいのカテゴリーがあるところでした。子どもも多かったので、そういうクラブチームでプレーしてました。

ーー最初のポジションは、どこだったんですか?

最初はディフェンダーだったんですよ。初めて出た試合とかもディフェンダーでした。でも、子供だから攻めたいじゃないですか。ポジションなんてよくわからずに、勝手に前に上がって行っちゃったりして。ディフェンダーから始まったんですけど、すぐにフォワードになりました。やっぱり点を取りたいと思って、前のポジションをやるようになりましたね。

憧れの選手、ブラジル代表ロナウドからデニス・ベルカンプへ

ーー当時、目標にしていた選手はいましたか?

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撮影/長田慶

初めて「この人みたいになりたい」と思ったのは、ブラジル代表の初代ロナウドですね。彼が出てきたときは本当に驚きました。「こんな選手がいるんだ」って。小学生か中学生のころだったかな。それで母ちゃんにロナウドのゴール集のビデオを買ってもらって、試合前にそれを見てイメージを作ってから試合に行く、みたいな感じでしたね。

その後はデニス・ベルカンプっていうオランダ代表の選手に憧れるようになりました。今でも「歴代で一番好きな選手は?」って聞かれたら、ベルカンプって答えます。

ーーやっぱり、あのボールコントロールからのゴールは魅了されますよね。

そうですね。ベルカンプのターンとか、あの柔らかいトラップとか、意味がわからないくらいすごいですよね。もともと彼はスピード系で、裏に抜けていくタイプの選手だったんですよね。アヤックス時代のベルカンプはそんな感じでした。でも、アーセナルに移ってから、年齢を重ねるにつれて少しプレースタイルが変わって、トップ下もこなせるようになりました。

どっちのベルカンプにも憧れていて、めちゃくちゃ見てましたね。自分もあんな風にプレーしたいと思って、でもあんなにうまくはできなかったんですけど(笑)。部屋にはベルカンプのポスターを貼りまくって、ベルカンプのユニフォームやグッズなどを集めてました。

夢のアーセナルユース参加、その背景とは?

ーーそんなベルカンプが所属していたアーセナルのユースに、JOYさんも練習参加された経験がありますが、その背景について教えてください。

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撮影/長田慶

中学生の夏休みに、どこかに留学してサッカーをもっと上手くなりたいと親に話してたんです。ブラジル留学とかは調べるとよく出てきて、主流だったんですけど、イギリスでサッカー留学するっていうのはあまり聞かなかったんですよね。でも、アーセナルのことは知ってたし、どうしても行きたかったんです。

それで、自分の試合のビデオを作って、とりあえず親父に頼んでアーセナルに送ってもらったんです。「これを見てもらって、もし良かったら練習に呼んでもらえないですか?」って感じでお願いしました。アナログな時代だったので、本当にビデオテープを送ってって感じでしたね。結果的に、短期間ですけどちょっとだけアーセナルのユースに参加させてもらえたんです。

ーー練習では、憧れのアーセナルのユニフォームを着て臨んだんですか?

いや、実際にはみんな自由に着てましたね。アーセナルのユニフォームを着てる人もいましたけど、僕はその時、向こうのサッカーのライバル関係を全然理解してなくて、なんとなく買ったマンチェスター・ユナイテッドのトレーナーを初日に着て行っちゃったんです。そしたらもう、すごい空気が重くなっちゃって(笑)。その日はちょうどアーセナルとユナイテッドが試合してる日で、アーセナルのビエラとユナイテッドのロイ・キーンがバチバチにやり合ってるのを見ながら、僕はユナイテッドのトレーナーを着てるという、めちゃくちゃ気まずい状況になりました。ずっとエンブレムを握って隠してましたよ。そんな感じのデビューでしたね。

世界との差を感じた瞬間

ーー実際に練習に混ざってみて、レベルの違いを感じましたか?

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撮影/黒木早紀子

技術的には、正直そんなに高くないなって思いました。特に中学生だったので、まだわからない部分もありましたけど、日本の上手い子のほうが上手いんじゃないかなって感じることもありました。ただ、フィジカルとかずる賢さが全然違っていて、中学生の年下の子がボールを受ける前に殴ってきたりするんですよ。ボールをもらう前に一発殴ってから取りに行く、みたいな。日本ではそんなことはありえないので、これがライバルを蹴落としていく精神なのかなって、すごく感じました。技術だけじゃなくて、譲らない気持ちや、自分の強さが前面に出てるなと感じましたね。

ーーそういった勝負への執着心などが日本と世界の差なんですね。

子供のレベルでも、こんなに違いがあるんだって感じました。あと、声の出し方が全然違いましたね。練習中でも試合中でも、みんなすごく声を出していて、日本ではそこが足りてないなと強く感じました。日本に帰ってきた時に、その差を実感しましたね。


Vol.2につづく

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JOYインタビューvol.2『Jリーガーの夢から芸能界への転身と再起の道』を語る

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JOY 
2003年、雑誌『men‘s egg』にてモデルデビュー。タレントとしてバラエティー番組などでも幅広く活躍しており、特技であるサッカーではスカパーで番組MCを務めている。2021年に「イクメンオブザイヤー2021(芸能部門)」を受賞し、パパタレントとしても奮闘中。