
五輪メダリストの栄光と現実ー【剣に魅せられて−フェンシングの世界を解き明かす】
2024年夏フランス・パリのグラン・パレにて日本剣士たちが快挙を成し遂げた。フェンシング史上初の複数個(5個)のメダル獲得。総勢16名のメダリストが生まれ、フェンシングは今大会において日本で注目を集めた競技のひとつとなった。※トップ画像:筆者撮影

みなさんもご存知かと思うが、メダル獲得直後からメダリストたちは多くのメディアに取り上げられる。まさに目まぐるしく日常が変わるのだ。今回のその“多忙さとその後に待ち受ける現実”について前大会での経験者の立場から語っていこうと思う。
東京大会でのメディア出演、表彰、お礼周りの日々
3年前の2021年に開催された東京2020大会でのこと。筆者率いる“男子エペ団体チーム”はフェンシング日本勢初の金メダルを獲得した。新型コロナウイルスの蔓延により無観客という異様な雰囲気のせいか、当時“オリンピック”を肌で感じることはできなかったが。しかし表彰式でメダルを授与され会場に君が代が流れた時、初めて「ここがオリンピックの一番高い所なんだ」と“日本史上初の快挙”にたいする実感が込み上げてきた。
表彰式が終わって我々を待ち構えていたのが、世界各国の名だたるメディアのインタビューに、全世界に向けた代表記者会見。インタビューであれ、会見であれ、今さらもうどうすることもできないが「もっとマシなことを言えばよかった」と反省することも多かった。「オリンピックが無事に開催されたこと」「自分たちを応援してくれたこと」「支え続けてくれたこと」とにかく多くのこと、そして人に感謝の言葉をたくさん述べた。
それが終わって、選手村に戻ったのは日付が変わった深夜。でもまだ終わらない。さらに選手団を派遣・支援している日本オリンピック委員会(JOC)をはじめとする関係各所に挨拶を終えて、ようやく自由時間。家族や恩師など限られた人と連絡を取り、これが夢でないことを祈りながら(もちろん夢ではないのだけれど)寝床についた。
次の日は早朝からメディアセンターへ。メディアセンターは各テレビ局がブースの設置されていてまさにオリンピックの情報発信拠点となっているのだが、各ブース分刻みで生放送巡りの対応をする。試合の疲れと4年+1年(延期)のプレッシャーからの解放され、金メダル獲得の実感もそこまで感じられていない、頭の中がふわふわした状態で対応していたので、正直何を話したかははっきりとは覚えていない。
各テレビ局から頂いた記念バッジ(筆者撮影)
さらに各記者会見を対応して、退村準備に入った。当時、感染対策のために試合後72時間以内での退村が命じられており、スポーツの祭典という雰囲気を十分に感じられぬまま選手村を後にした。
もちろんメディア対応はこれで終わりではない。次はテレビ局の特番、ラジオなどの出演が控えている。さらに各種表彰の案内が届き、その賞の概要すら理解できないまま慌ただしく授賞式に参加した。「おめでとう」という称賛とともに「これからの日本のスポーツをよろしく」というメッセージが強く込められていて、嬉しさもあるが、そのメッセージへの責任感を強く感じたのを今でも覚えているし今も感じている。
メディア対応や授賞式だけではなく、“凱旋”もある。ただでさえ多忙なスケジュールを調整し、地元や自身にゆかりがある地に向かう。私は地元・香川県と大学在学時に住んでいた京都を中心に周った。凱旋するだけでなく、もちろん地方媒体の対応もある。各自治体首長の表敬訪問も終え、ようやく恩師など自分を近くで支え続けてくれた人と過ごす時間が取れた。ようやくゆっくり帰れ…るわけもなく帰省時も様々な案件のスケジュール調整連絡が入り、1〜2ヶ月ぐらいは嬉しくも忙しい日々を送った。具体的に書き起こすと長くなってしまうので割愛するが、改めてオリンピックの注目度の高さを実感する経験となった。
パリ大会を終えた選手たちも超多忙
日本初の快挙!パリ2024大会で銅メダルを獲得したフェンシング女子フルーレ団体(出典/Getty Images)
コロナ禍を経て開催されたパリ2024大会のメダリストたちは、私よりもさらに大変だったのではないかと思う。コロナ禍だった東京2020大会では開催できなかったリアルイベントも復活し、メディアや凱旋だけでなく参加を求められるイベントがグッと増えていると感じる。
私自身、今回の大会ほど“フェンシング”というワードが日常的に使用される日が来るとは想像していなかった。オリンピックという注目度が高い国際大会で日本代表としてメダル獲得することが「成功」というイメージをつけたことは明らかだし、競技普及につながっていると思う。
悲願の金メダル獲得を獲得したフェンシング男子フルーレ団体(出典/Getty Images)
自身の立場を理解し活動する彼ら・彼女らの言葉やキャラクターは多様だ。その“強さ”だけでなく、1人の人間としての魅力にもぜひ注目していただきたい。
これはオリンピアン、メダリストといったものに限らずあらゆる事柄に共通することであるが、SNS発信における情報の性質についても注目すべきだ。次々と新たな情報が入ってくるために、よほど受け手にとって強い影響を及ぼせない場合は記憶に残っていかないのだ。
スポーツにおいて注目されるのは活躍した瞬間の“点”であり、その後の活躍を追い続けてもらう“線”にするには新たな点を作り出し続けなければならない。私もその速さを経験し、一気に今後のキャリアが不安になった時期もあった。だからこそ新たな専門性を学び習得する努力が必要なのだと理解するきっかけにもつながった。
2021年東京五輪のエペ団体で金メダルを獲得し、「エペジーーン」は流行語大賞候補にノミネートされた(撮影/白鳥純一)
メダリストになったら人生は安泰?
撮影/白鳥純一
日本においてスポーツの国際競技力が大幅に向上したと感じている。なかでも世界的にも競技人口が少ないマイナースポーツはライバルが少なく勝ちやすいとされ、資金の投入や科学的知見の投入、幼少期からのいわゆるエリート教育などによる重点強化の成功モデルが続々と出てきているようだ。
日本のオリンピックへの選手派遣人数は増加し、それに比例するようにメダルの数も増えている。東京2020大会では過去最高の金メダル27個を含む58個、そして今年のパリ2024大会でも金メダル20個を含む45個を獲得し、国別の獲得数の上位に位置している。
パリ2024大会の閉会式会場に入場する日本選手たち(出典/Getty Images)
こうしたメダリストの増加により生じるのが「仕事の取り合い」。テレビなどで長期的に活動できるのはほんの一握りで、多くの元アスリートがその立ち位置を狙っている。
最近は同業者だけでなく、インフルエンサーもライバルになりうる。メディアの最前線は常に戦場なのだ。フェンシングにおいても今大会16人がメダリストとなったが、この数ヶ月で媒体における彼ら・彼女の需要には偏りが見え始めていると感じている。
さらに競技人口が少ないほどコーチなどのポジションも限られている。幼少期よりスポーツエリートとして育てられたケースの多くはアルバイトや企業での業務経験も乏しく、この厳しい社会を生き抜くスキルが身についていないと指摘されているのが現状だ。私自身も身をもって己の無知さを自覚し、大学院で学び直すというチャレンジを選択して今に至る。
競技を引退しても様々なスキルは転用できる
選手が引退後のキャリアを考える時に「自分の専門性が全く使えなくなる」と不安になることは多い。
確かにビジネスシーンでフェンシングの剣技を披露する機会はない。転用できるスキルは競技に取り組む中で既に醸成されているのだ。例えば高い目標を維持し目指すこと、モチベーションのコントロールなど。選手自身がそのことを理解することで、現役時代に引退後のキャリアに不安に感じることなく、より競技に集中し高みを目指すことがきるのではないだろうか。
今後も引き続きスポーツを多角的に分析し、自分の経験も交えながら情報発信をしていこうと思う。
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