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バスケ日本代表 “渡邊雄太”ー不屈の精神で挑み続けたNBA6年間の軌跡

日本人2人目のNBAプレーヤーとして世界最高峰の舞台で6年間プレーし、今年4月にNBA引退を発表した渡邊雄太。渡邊選手の密着ドキュメンタリー『渡邊雄太 不屈の挑戦|バスケ☆FIVE 特別版』より、今回はバスケットプレーヤーとしての原点やNBAで生き抜くことができた理由に迫る。※トップ画像出典/Getty Images

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父から受け継いだ不屈の精神

2018年10月、渡邊選手はメンフィス・グリズリーズに入団。現在Bリーグ宇都宮ブレックスに所属する田臥勇太選手以来、日本人2人目のNBAプレーヤーとなった。それから4ヵ月後、NBAのコートに立つ姿を応援する両親の姿があった。渡邊家の夢が叶った瞬間だった。

渡邊選手の両親は、2人とも元バスケットボールプレーヤーだった。父、英幸さんは実業団でプレーしていた。「午後5時まで仕事をして、6時から練習をし、そのあと残業をしたりしていた。専用の体育館がなかったので昼休みに中庭に行って、すり減ったボールを水で濡らして重たくして練習をしていました」と語る。この当時、日本にはNBAプレーヤーどころかプロの選手もいない。日本バスケ不遇の時代だ。

そんな状況でも言い訳をせず工夫を重ねてバスケットに打ち込む父の姿を見て、当時小学校3年生だった渡邊選手は“ある言葉”を口にする。それは「将来NBA選手になる」という決意だった。

それから渡邊親子は、毎朝6時から小学校の校庭でドリブル練習を開始した。一番の問題は、バスケットゴールがないことだった。英幸さんは「(渡邊選手が)真剣にNBA選手を目指すのなら、いくらでも付き合おうと思った。バスケットゴールがないことを言い訳にはしたくなかった」と、電柱をゴールに見立ててシュート練習をした。渡邊選手は「ボールをまっすぐ飛ばさないと、いろんな方向にボールが飛んで行ってしまいます。電柱を通してまっすぐ投げる技術を学びました」と、当時を振り返る。これが渡邊選手のバスケットボール人生の原点であり、簡単にはあきらめない“不屈の精神”を父から教え込まれた期間だった。

NBAへの挑戦!2way契約から正式契約を勝ち取るまでの道のり

高校卒業後、渡邊選手はNBA挑戦を決意する。当時入団したメンフィス・グリズリーズでの契約は、下部リーグにも所属しながらNBAには最大45日間しか帯同できないという2way契約だった。結果を残せず、崖っぷちの日々が2年も続いた。

NBA3年目で移籍したカナダのトロント・ラプターズにて、渡邊選手がアメリカで認められるきっかけとなったプレーがあった。NBAでは確実にダンクが決まる状況でブロックにいく選手はほとんどいないのだが、渡邊選手は果敢にブロックに跳び、結果ダンクを決めた選手に吹き飛ばされた。この姿勢をアメリカメディアが絶賛、ファンの心もつかんだのだ。

「また同じ状況になっても、僕は絶対に跳びます。避ける選択肢はありえない」“99回失敗しても、1回の成功のために跳ぶ”渡邊選手の培ってきた不屈の精神そのものだった。この2か月後、初めての正式契約を勝ち取った。

実力が評価されスター選手やファンからも認められる選手に

2022年NBA5年目は強豪ブルックリン・ネッツに所属し、このシーズンの11月、12月はスリーポイント成功率NBAトップの大活躍を見せる。その実力が評価され、10チーム以上からオファーが殺到した。渡邊選手はその中から優勝候補のフェニックス・サンズを選び、世界最高峰のリーグでトップクラスも選手と渡り合った。

しかし、今年2月シーズン途中で突然のトレード。移籍先はNBAデビューを果たした古巣メンフィス・グリズリーズだった。「この6年間で力をつけたのは間違いないので、あとはコート上で表現するだけです」とトレードを前向きに受け入れ、ファンの前で6年間の成長を見せた。

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NBA時代のベストプレーはネッツ在籍時の対ラプターズ戦だという。「ひとつひとつのプレーが勝敗を左右する時間帯で、自分を信頼してパスをくれてシュートを決めることができた」と語る。このとき、渡邊選手にパスを出したのはNBAやオリンピックで優勝経験のあるカイリー・アービングだった。「あの場面はカイリーもシュートを打てたと思う。それでもコーナーでフリーになっているのをみつけて、パスをくれたのが本当にうれしかった」と振り返る。さらに、この試合の場所は、前所属チームのラプターズ本拠地だった。「ラプターズファンの人達の悔しそうな声が、リスペクトしてくれているからこその反応で、それが心地良かった」と渡邊選手が語る。。スター選手やファンに認められたことを象徴するようなシーンだった。無名の日本人が、6年間で多くのファンの心をつかんだのだ。

NBAを引退した今、思うこととは

2024年4月、NBA引退を発表。平均在籍年数が約4年半といわれるNBAで、日本人最長の6年間プレーし、レギュラーシーズンの通算得点は854点にもなっていた。

「本当にあっという間だった。NBAに携わるもの全てが一流で、その中で6年間やりきったことは自分の中で一生の誇りです。人としても選手としても成長させてもらった6年間でした」と振り返った。これから日本でプレーすることについては「20代の間はどんなに苦労してでもNBAにしがみついていたいと思っていた。今年30歳になるが、まだまだバスケットをしたい。NBAで経験してきたことを日本の皆さんにも見せることができたらうれしい」と語っている。渡邊選手の不屈の挑戦はまだまだ続く。


「渡邊雄太 不屈の挑戦|バスケ☆FIVE 特別版 #1 NBA6年の軌跡」より
配信日:2024年7月1日(月)~ 全3回3夜連続配信

※記事内の情報は放送当時の内容を元に編集して配信しています