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[Lịch sử cầu thủ] Một cầu thủ ngoài sân mạnh mẽ! Người đàn ông vượt qua nỗi đau để giành chiến thắng - Soichiro Tateoka (Yomiuri Giants) / Cầu thủ bóng chày chuyên nghiệp giải nghệ vào năm 2024

Soichiro Tateoka, sinh ra tại thị trấn Taura, quận Ashikita, tỉnh Kumamoto (nay là thị trấn Ashikita), tốt nghiệp trường trung học Chinzei ở tỉnh Kumamoto và gia nhập đội Fukuoka SoftBank Hawks với vị trí thứ hai trong bản dự thảo năm 2008, trước khi gia nhập đội Yomiuri Giants trong một cuộc trao đổi cầu thủ vào năm 2012. Anh ấy đã xuất sắc khi tận dụng tối đa tốc độ và khả năng thể chất cao của mình. ※Minh họa bởi Korematsu Emu

Biểu tượng kinggearBộ phận biên tập KING GEAR | 2024/12/24

140kmの速球から、豪打の外野手へ

熊本県葦北郡田浦町(現:芦北町)で生まれた立岡宗一郎は、幼い頃から近所に住む知り合いの影響で柔道に取り組んでいたものの、多くの友人が野球チームに在籍していたことに寂しさを感じ、小学校2年生の時に野球を始め、3年からは野球だけに専念することになった。

中学進学後は、中学の軟式野球部に在籍。軟球ながらも140kmに迫るボールを投げる投手として、県大会の優勝やその後の九州大会準優勝に貢献した。約50校から届いたオファーの中から、立岡は熊本県の名門校の一つでもある鎮西高校を選択。以後は松井稼頭夫氏への憧れから野手に転向し、その才能に磨きをかけていくこととなった。

1年目の春には早くもベンチ入りを果たすと、以後は外野手として活躍。50mを5秒9の速さで走る俊足と高校通算28本塁打を放った長打力、そして遠投110mの強肩で、次世代のスター候補として注目を集めた。残念ながらチームは甲子園出場は果たせなかったものの、立岡の潜在能力の高さに期待を寄せた地元・九州の福岡ソフトバンクホークスが、2008年のドラフト2位で指名した。

不遇のルーキーイヤーを超えて、左打ち転向の成果を発揮

ルーキーイヤーの2009年は一軍出場の機会は訪れなかったものの、ウエスタン・リーグで61試合に出場し、打率.222、2本塁打の成績を残すと、翌2010年には8月14日の北海道日本ハム戦に代走として一軍の試合に初出場。だが、ソフトバンク時代の一軍出場はこの1試合限りだった。2012年6月にレビ・ロメロ、福元淳史との交換トレードで、久米勇紀と共に読売ジャイアンツへ移籍が決定。7月の二軍戦では守備の際に味方と交錯し、左肘靭帯を断裂。だが、怪我でバットを振れないほどの痛みを感じたことを機に、人生でほとんど経験がなかった左打ちへの転向を決断。シーズン終了後に行われた2012年秋のフェニックスリーグでは打率3割のハイアベレージを残して周囲を驚かせた。

移籍2年目の2013年には、5月14日に個人では初の一軍昇格を果たすと、翌日の対千葉ロッテ戦でプロ初安打を記録。この年は46試合に出場し、打率.203、7打点、1盗塁を記録。さらなる飛躍に期待が寄せられたが、翌年はわずか2試合の出場に終わり、悔いの残るシーズンを過ごした。だが、雪辱を期す翌2015年は、立岡のキャリアにおいて大きな転記をもたらす1年となった。5月下旬に一軍昇格を果たすと、昇格後の22打数で9安打を放つ活躍。シーズン中盤以降は打撃不振に苦しむチームの核弾頭に定着し、8月には月間打率4割を記録した。残念ながら規定打席にはわずかに及ばなかったものの、91試合に出場し、打率.304、0本塁打、14打点、16盗塁の成績を残し、飛躍の一年となった。

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厳しいケガとの戦い、移籍からの再起劇は遠く

さらなる好成績が期待された2016年は、3月29日の対横浜戦でプロ初本塁打を放ち幸先の良いスタートを切ったものの、左脇腹の肉離れの影響で5月に戦線離脱を強いられることに。この年はわずか51試合の出場で、打率.229、2本塁打、9打点、9盗塁というやや物足りない成績に終わった。

翌2017年もシーズン序盤こそは中堅の定位置を掴んだものの、長引く打撃不振により二軍降格を言い渡されるなど、62試合に出場して打率.208、10打点、4盗塁の成績。打撃や盗塁成功率に課題を残した。前年よりも出場機会を減らした(42試合)2018年オフには、背番号をそれまでの58から39番に変更して捲土重来を期すも、この年FAで丸佳浩が加入したことも影響し、2019年はわずか25試合の出場に留まった。2020年には、キャンプ中の2月に右手有鈎骨を骨折、2022年には左膝前十字靱帯損傷と大きな怪我に見舞われ、22年オフには育成契約を締結し、以後はリハビリに専念することとなった。

現役最後のシーズンにリーグ優勝に貢献

2023年7月に三軍で久々の実戦復帰を果たすと、2024年5月には支配下選手として登録されることに。背番号23を背負った立岡は5月21日の中日戦で先発オーダーに名を連ねると、6月2日の対西武戦では7年ぶりの猛打賞を記録。就任一年目の阿部慎之助監督率いるチームのリーグ優勝に貢献したが、クライマックスシリーズで横浜DeNAに敗れた10月26日に引退を表明し、14年間に及ぶ現役生活に幕を下ろすこととなった。

プロフィール

名前:立岡宗一郎(たておかそういちろう)

ポジション:外野手

投打:右投げ左打ち

出身:熊本県

身長/体重:181cm/82kg

生年月日:1990年5月18日

ドラフト:2008年ドラフト2位

通算成績

実働14年:498試合 打率.245 打数1071 安打262 本塁打4 打点62 盗塁44

獲得タイトル

2015年:東京ドームMVP敢闘賞

※記事内の情報は配信時点の情報です(2024年12月現在)