
フェンシングのスポーツマンシップー【剣に魅せられて−フェンシングの世界を解き明かす】
パリ五輪で注目を集めたフェンシング。その魅力は、鋭い技術と俊敏な動きだけでなく、競技特有の礼儀やルールに基づいた精神性にもある。フェンシングは、スポーツマンシップの象徴ともいえる競技であり、選手たちの振る舞いや対戦における態度が、そのまま競技の魅力を引き立てているのではないだろうか。今回は「スポーツマンシップ」をキーワードに、フェンシングが持つ教育的価値や競技を通じて育まれる精神性について深堀りしてみようと思う。※トップ画像:(c)日本フェンシング協会


(c)日本フェンシング協会
フェンシングとスポーツマンシップの関係性
フェンシングは剣、フットワークなどの技術を駆使して相手と競い合う競技だ。中世ヨーロッパの騎士道精神を起源に持ち、剣を使って「ただ勝つこと」ではなく「名誉を守ること」が競技の背景にある。試合では、相手に対するリスペクトと、公正で誠実な態度を貫くことが重要視される。試合前後に行われる「サリュー(剣先を相手、審判、観客に向ける礼法)」や握手、さらには審判の判定を尊重する態度は、まさにフェンシングが大切にする伝統と価値観を象徴している。これらの振る舞いは単なる競技の一環ではなく、勝利そのもの以上に重要視される「スポーツマンシップ」の核心を成しているともいえるだろう。現代スポーツへと変化を遂げた今でもそれは変わらず、選手たちは競技を通じて自らの内面を磨き、フェアプレーの精神を受け継いでいる。
パリ五輪をはじめ、日本のフェンシング選手たちが試合で見せた礼儀や振る舞いは、多くの人々に深い印象を与えた。彼らの行動は、勝利への情熱とともに「守る」という精神を色濃く表現しており、競技力の高さだけでなく、国内におけるスポーツマンシップの模範となる可能性を感じる。

(c)日本フェンシング協会
ルールに組み込まれたスポーツマンシップ
競技におけるフェンシング選手たちの振る舞いは、「文化として継承されているもの」と「規則として組み込まれているもの」の主に2つにわけられる。後者については、国際フェンシング連盟(以下、FIE)の競技規則に明記されており、特に罰則に関する項目にその詳細が記されている。たとえば、剣を持たない側の手で有効面を隠す行為や相手に背を向ける行為は「非紳士的行為」とみなされ、ペナルティが科せられることとなる。
ペナルティにはイエロー、レッド、ブラックの3種類があり、違反の程度に応じてその重さが変わる。イエローカードは軽微な違反に対する警告で、一度出された後に同じ違反が繰り返される場合や他の軽微な違反を行った場合には、レッドカードが出される。レッドカードが示されると相手に1点が与えられ、試合の勝敗を左右しかねない重要な罰則となる。そして最も重いペナルティがブラックカードで、これが出されると競技会からの排除や60日間の出場停止が課される。特に注目すべきは、ブラックカードの対象となる行為の中に「サリューや握手の拒否」が含まれている点だ。さらに「スポーツマンシップに反する行為」もブラックカードの対象に含まれており、これらの規則はフェンシング競技の伝統的な高貴さや品位を守るために設けられているのだろう。
日本のトップ・フェンサーが魅せる「振る舞い」
前述のように、スポーツマンシップに関する行為が競技規則として明確に定められているが、その規範を真摯に守る姿勢は日本代表選手たちの振る舞いから特に強く感じられる。実際に、私自身も多くの国のフェンサーと対戦してきたが、試合後に目を合わせることなく、形式的に手を触れるだけの「握手のようなもの」を交わす選手は少なくない。しかし、日本のフェンサーたちは礼法を重んじる日本独自の文化や武士道精神の影響を受けているのか、相手の目をしっかり見て、心のこもった握手を交わす姿を多く見ることができるのが非常に印象的である。

(c)日本フェンシング協会
さらに、この振る舞いは言葉となって表れる場面も多い。2024年9月に行われた全日本選手権で優勝を果たした江村美咲は、ヒーローインタビューで決勝の対戦相手に対する感謝と労いの言葉を述べ、その発言からは相手への深い敬意が感じられた。競技力の向上だけでなく、人間としての成長も遂げている選手たちが日本フェンシング界から次々と登場していることは、この競技が持つ価値の高さを改めて感じさせるものである。日本のフェンサーたちが見せる振る舞いは、単なる勝敗を超えた美しいスポーツマンシップの象徴するものであり、競技としての深さと品格をしっかりと伝えている。

(c)日本フェンシング協会
国内スポーツ界のリーダーへ:フェンシングが示す礼と品位
近年、大学スポーツをはじめとする競技界での不祥事が相次ぎ、国内におけるスポーツへの視線が厳しさを増している現状は否めない。パリ五輪においても、選手の振る舞いや審判、さらには試合運営に対する指摘が多く見られた。こうした状況の中で、フェンシングが持つ独自の価値が再評価されるべき時期に来ているのではないだろうか。
日本のフェンシングに根付くスポーツマンシップは、騎士道精神と武士道精神という2つの文化的背景が融合したものにほかならない。この精神は、競技の枠を超え、選手個人の人間的成長にまで応用できる普遍的な価値を備えていると思う。私自身、この精神をより多くの人々に広めることこそが、競技そのものの価値を高め、国内におけるフェンシングの立ち位置を確立するための大きな鍵になると感じている。
国内の競技人口が約6000人と限られている中でも、フェンシングが培ってきた文化や精神性を広く伝えていくことは、スポーツの本質を捉える上で非常に重要である。フェンシングが示す礼と品位を日本全体のスポーツ文化に浸透させていくことで、競技人口や観客数だけでなく、多くの人々にとって魅力的なメジャースポーツへと成長することを心から願っている。

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