
孤独な戦いからMLP選出へ!日本人初の挑戦者として世界に挑む船水雄太の物語
日本人初の「メジャーリーグ・ピックルボール(MLP)」選手となった船水雄太。2024年1月に単身渡米し、英語も話せず無名の状態からスタートした彼は、試合を重ねるごとに成長し、独自のボレースタイル「THE YUTA」で注目を集めるようになった。プロ契約、ブランドアンバサダー就任を経て、世界の舞台で戦う彼の挑戦はまだまだ続く。歴史を塗り替えていく彼の挑戦と未来への展望に迫る。※トップ画像提供:エースマネジメント

アメリカのプロピックルボールリーグ 「メジャーリーグ・ピックルボール(Major League Pickleball、略称:MLP)」。このリーグのクラブ 「マイアミ・ピックルボール・クラブ(Miami Pickleball Club)」 にドラフトされ、日本人として初めてMLP選手に選出された。
この快挙とは別に、彼にはもう一つの“日本人初”がある。それは、米国の「United Pickleball Association(UPA)」と専属契約し、UPAが運営する「PPAツアー」に専属出場するということだ。2024年1月、MLP挑戦のために単身渡米。目標は 「日本人初のMLP選手」 そして 「世界一」 になること。その思いを胸に、日々挑戦を続けてきた。

何者でもなかった“THE YUTA”の再スタート
船水が日本人初として挑戦し、夢を掴む道のりは決して平坦ではなかった。
2024年1月、英語も話せず、ピックルボールの基礎もない状態で単身渡米。ただひたすら挑戦したいという強い気持ちと行動力だけが、彼の原動力だった。しかし、現実は厳しく、練習相手を見つけることすら困難な日々が続いた。今では「THE YUTA」と呼ばれ、武器として認められている彼のボレーも、最初は「変な打ち方」と見なされ、周囲に受け入れられなかったという。
プロの世界では、選手たちは自らのキャリアのために活動資金を投じている。そのため、実績も知名度もない日本人とペアを組む選手はほとんどいなかった。バカにされ、孤独な戦いの中で、それでも彼は諦めなかった。
「昨年の自分は、世界で一番試合に出ていたと思う」そう語る彼の生活は、まさに戦いの日々だった。ホテル暮らしをしながら、毎週のように移動。アリゾナからカリフォルニア、そしてテキサスへ。 現地で練習相手を探し、ダブルスのパートナーを見つけるために奔走した。各地で開催される試合にとにかく出場し、自分の名前と顔を覚えてもらうことに全力を注いだ。最初は全く勝てなかったが、試合を重ねるうちに少しずつ勝てるようになっていく。すると、周囲の見る目も変わっていった。何者でもなかった彼は、地道な努力を続けることで、少しずつピックルボール界での存在感を確立していったのだ。
ディンク技術向上で攻撃スタイルも進化!
今回のMLP選出について、船水は自身の成長ポイントとして「ディンクの向上」を挙げた。「ディンク」とは、ピックルボールにおいて勝敗を左右する重要なショットのひとつだ。コート前方のノンボレーゾーン(キッチン) にボールを落とし、相手に低い打点で打たせる技術のことで、これにより相手が強打しにくくなり、試合の展開を有利に運ぶことができる。このショットの精度が向上したことで、船水の持ち味である攻撃的なプレースタイルはさらに進化を遂げた。
もう一つの強みは、彼がプロソフトテニスプレイヤーであること。船水のボレーの打ち方は、世界でも唯一無二のスタイルだ。ソフトテニスの技術を応用した「ソフトテニス式ボレー」 を武器にしている。この打ち方は「THE YUTA」 としてアメリカのピックルボール界でも知られるほど浸透している。最大の特徴は打点の前さばき。多くの選手が身体の横でボールを捉えるのに対し、船水は身体の前で打つ。これにより、より攻撃的なボレーが可能になり、試合の主導権を握ることができる。最近では、「THE YUTA」を見よう見まねで試そうとする選手も増えてきたそうだ。試合会場やSNSでは、グリップの握り方や打ち方についての質問が絶えないと彼はいう。しかし、これは簡単に習得できる技術ではない。船水は5歳でソフトテニスを始め、大学時代には世界一にも輝いた。長年にわたって培った技術をピックルボールに応用し、試行錯誤を重ねながらブラッシュアップしてきたものだ。
そして今の彼があるのは、トップランカーの選手とミックスダブルスで勝利した際に「自分のスタイルが世界でも通用するかもしれない」 と確信を持ったことがきっかけだという。「何もないところから自分自身で積み重ねてきた」その確かな歩みが、彼の自信につながっているのだろう。

ヨーラとの契約で広がった新たな可能性
2024年12月、船水は「ヨーラ(JOOLA)」の日本人初のブランドアンバサダーに就任した。ヨーラは、世界トップランカーの多くが契約するピックルボール界屈指のブランドだ。この契約を機に、船水の選手生活にもさまざまな変化が生まれたという。ヨーラを通じて、契約選手たちとの交流が増えたことも大きな変化のひとつ。さらに、さまざまなチームにヨーラの契約選手や関係者がいるため、チームのトライアウトを受けるきっかけを得ることができた。このつながりが、彼のさらなる挑戦への道を開いている。また、試合会場にはヨーラ専属のフィジカルトレーナー が常駐する。彼らのサポートが試合での高いパフォーマンスにつながっているという。世界トップブランド「ヨーラ」との契約をきっかけに、新たな環境での挑戦が始まった2025年。船水の成長は、ここからさらに加速していく。
船水の活躍が日本にも新風を吹き込む
ピックルボールは競技寿命が長いスポーツといわれており、30代・40代になってもトップレベルで活躍する選手もいる。特に、テニス経験者が転向するケースも増えているそうだ。例えば、「テニスコートでは走れないが、ピックルボールならプレーできる」という理由で競技を変える選手も少なくない。本場アメリカではジュニア育成も活発であり、幅広い世代が「ピックルボールドリーム」を掴もうと戦っている。
現時点で、船水は次のシーズンの優勝や今後の活動については考えていないという。まずは、今シーズンのMLPでしっかり結果を残すことに集中すると語る。日本人初のMLP選手、そして世界一を目指して活動を始め、わずか1年2ヶ月で夢を掴んだ。彼の挑戦は、日本人選手にとって歴史的な瞬間の連続となっている。
「自分の活躍が、ピックルボールの認知度向上につながれば」と船水は語る。彼が結果を残し続けることで、日本でもこの競技がさらに広がっていくだろう。

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