Một kỷ lục về tầm quan trọng của việc thâm nhập vào các cầu thủ và kỷ lục của 12 hit liên tiếp mà Shinpei Katahira tấn công.
Vào ngày 22 tháng 1 năm nay, cựu cầu thủ bóng chày chuyên nghiệp đã hoạt động ở Nankai, Seibu và Yokohama Ocean như một vũ khí của những cảnh quay đẹp, ông Shinpei Katahira của giải bóng chày nữ chuyên nghiệp của Nhật Bản · Cố vấn đã rời thế giới ở tuổi 68. Trong bóng chày chuyên nghiệp của phụ nữ, anh từng là huấn luyện viên đầu tiên của Astrida vào năm 2013 và đã hướng dẫn đội bóng cho đến năm ngoái, trong khi sự tôn trọng sự tôn trọng cũng được chỉ ra bởi các cầu thủ của đối phương.
Sen cây lớn
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2018/04/28
リーグ最年長・レジェンド小西美加が語る、片平氏との関係。
「あとは自分でやれ、ってことなんですかね…ちゃんと私が引退するまで見ていてほしかった。」
そうつぶやきながら、片平氏のいない埼玉アストライア側のベンチを遠い目で見つめて涙したのはリーグ最年長・京都フローラの小西美加選手。女子プロ野球発足時から投打に渡って活躍し、現在もリーグを牽引し続ける存在である。
片平氏とは敵チームの選手として、接点を持たずにいることもできたが、そのオーラと人柄に吸い込まれていった。それから彼女は片平氏が球場に入ってくると一番に挨拶に行くようになる。
「実は私が打てない時にアストライアの選手の目を盗んで相談に行ったこともありました。バスターからなら打てていたので、その旨を伝えると『君はバスターなんかしたらダメだ。どれだけ不調が続いていても、小西くんにはプロとしてのプレースタイルがあるんだから、それを信じて貫き通すべきだ。』と言葉をかけてくださいました。それまで私のことなんか気にしていないと思っていたのにそんなに深く見てくださっていたんだなと。」
投手としてだけでなく、リーグ第1号本塁打を放つなど、打撃面でも成績を残し、その歴史の先頭に立ち続けてきた小西選手の立場を考えてかけられた言葉。周りの選手やプロを目指す子供たちから向けられる目線も考えてのことだったのだろう。
ライバル球団で監督も務めた指導者と敵チームの選手という関係性からなかなか思うように話す機会を作れないことは想像がつく。
それでも一番長く女子プロ野球でプレーしてきた身として、自分自身のスタイルである一本足打法を貫き通し、NPBでも実績を残した片平氏が思い描くこのリーグの未来を共に創っていきたかった。そんな無念の想いが涙となって溢れ出る。
「常に私の中に片平さんはいるので、いつも見ていただいているという気持ちで自分に自信を持ってプロとしてみんなを引っ張っていけるように歩んでいきたいと思います。」
ベテランとして自身がベンチスタートの際には試合中に若手捕手に話しかけ、防具着用の手伝いをする姿がそこにはあった。心の中の片平氏と、今後を担う多くの選手たちとともに女子プロ野球の未来を描き、創っていく。
連覇への道は「アストライア 片平晋作」とともに。
4月7日(土)、埼玉アストライアは川口市営球場でホーム開幕戦を迎えた。この日は片平氏への追悼の意を込めて試合前練習では袖に「All For KATAHIRA」と刻まれた特別ユニフォームを着用した他、シンガーソングライターの佐野葵さんが選手が片平さんからかけられた言葉、フレーズを基にした特別ソングも披露された。そして、この日はアストライア打線が爆発。開幕から3連敗、3試合で5点しか取れなかった打線が嘘のように打ちまくり、終わってみれば23安打20得点で勝利を収めた。
圧巻だったのは3回裏。2番加藤選手から打者一巡し、4番川端選手まで3投手から12者連続安打を記録した。もちろんリーグ記録である。 ちなみにNPBの連続打者安打最高記録は「10」で、2010年にロッテとオリックスが記録している。連続打数安打は2009年に東京ヤクルトが1四球を挟んで「11」をマークし、ギネス記録に認定されている。今回はそれらをも上回る記録となった。
10回中3回ヒットを打てれば優秀とされる野球という競技において、ましてや女子野球のトッププロリーグというレベルでこの記録は神がかっている。片平氏が打たせているとしか思えなかった。
この日の埼玉アストライアベンチには昨年末、球団スタッフが病院に見舞った際に片平氏がサインを入れたバットが置かれていた。そのバットには年間女王獲得を讃える“おめでとう”、そして“アストライア 片平晋作”の文字。リーグのアドバイザーという立場で女子プロ野球全体の発展を願いつつもアストライアを愛し、強くなることを願っているー。あえて肩書きに“アストライア”と記す粋なはからいに、そんな想いが垣間見られた。
開幕カード以降も埼玉アストライアベンチには片平氏の写真ボードが飾られている。 長く、険しいシーズンの中で辛い時には選手たちはそれを見て、また片平氏の「大丈夫」の言葉を思い出すことだろう。それぞれの心の中の片平氏とともに目指す、埼玉アストライアの連覇への戦いは始まったばかりだ。
<前編>http://king-gear.com/articles/767
写真・取材=森 大樹
日本女子プロ野球リーグ:https://www.jwbl.jp/
埼玉アストライア:https://www.jwbl.jp/astraia/
片平晋作(かたひら・しんさく)=元プロ野球選手、野球指導者、解説者 1949年8月5日生まれ。上宮高校から東京農業大学を経て、1971年ドラフト4位で南海ホークスに入団。1982年からは西武ライオンズに移籍。2年連続の日本一などに貢献し、西武黄金時代を築いた。1987年に大洋ホエールズに移籍し、1989年に現役引退。通算1181安打、176本塁打、601打点、打率.274。
引退後は西武1軍打撃コーチ、2軍打撃コーチ、2軍監督などを歴任した後、2013年に女子プロ野球のイースト・アストライア(現・埼玉アストライア)初代監督に就任し、ティアラカップ優勝に導いた。翌年以降もアドバイザーとしてリーグに残り、選手の指導にあたった。2018年1月22日に膵臓がんのため、死去。享年68。