
【選手ヒストリー】セ・リーグ最年少記録を持つー砂田毅樹 (中日ドラゴンズ)活躍の軌跡/2024年プロ野球引退選手
2013年の高校生ドラフトでDeNA横浜ベイスターズに入団した砂田毅樹が、今期引退を決意した。2022年に中日ドラゴンズに移籍して以降、1敗1ホールドの成績だった。※イラスト/これ松えむ

義父の影響で小学校2年時に野球を始める。札幌市立伏見中学校時代は札幌南シニアに所属。秋田市にある明桜高等学校への進学後は、1年春からベンチ入りを果たした。
予期せぬハプニングに甲子園を逃すもドラフト指名で育成選手に
利き腕に死球を受けるアクシデントなどの影響で、在学中には春夏とも甲子園球場での全国大会に出場できなかった。3年の夏には選手権秋田大会準々決勝まで駒を進め、大会通算投球回数25イニングで自責点1、40奪三振という好成績を残した。2013年のNPB育成ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから1巡目で指名され、育成選手として入団した。
セ・リーグの育成出身投手による1軍公式戦デビュー年の最多勝利を記録
2015年6月、対北海道日本ハムファイターズ戦で先発投手として1軍公式戦へのデビューを果たした。7月の対広島東洋カープ戦で先発。打席で初安打・初打点を記録し、先発投手としても5回無失点で1軍公式戦初勝利を挙げた。NPBの球団へ育成契約で入団した投手による1軍公式戦の勝利では史上最年少の記録で、10代の育成出身投手による公式戦の勝利は史上初。さらに9月の読売ジャイアンツ戦でシーズン3勝目を挙げ、セ・リーグの育成出身投手による1軍公式戦デビュー年の最多勝利を記録した。1軍公式戦全体では14試合の登板で3勝5敗。
2017年は前年に続いて開幕から中継ぎ投手として公式戦への登板を重ねた。4月中旬からはセットアッパーの一角に定着。1軍公式戦全体ではチーム2位の62試合に登板。通算防御率は4.12で、1勝しか挙げられなかったものの、チーム3位の26ホールを記録。ポストシーズンではワンポイントリリーフやショートリリーフに起用され、クライマックスシリーズで8試合中3試合、福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズで6試合中5試合に登板した。2018年は、左のセットアッパーとして登板を重ね、レギュラーシーズンの開幕からシーズンの終了まで1軍に帯同し、チームトップの70試合に登板。
2019年は、1軍と2軍を往復。1軍公式戦では左打者へのワンポイントリリーフで起用された。
2020年シーズン終盤の1軍登録後の安定した活躍
2020年はシーズン終盤まで1軍での起用はなかったものの、10月に1軍登録されるとシーズンの終了まで帯同。左打者へのワンポイントリリーフやロングリリーフとして17試合に登板。2021年に2年ぶりの開幕1軍入りを果たすと、左のワンポイントとして重用された。
中断期間を除いて一度も2軍の降格がないままチーム4位の58試合に登板。2勝2敗、18ホールド、防御率3.24の成績を記録した。2022年も開幕から1軍で登板していたものの、1軍での登板は15試合で防御率5.68。
トレードで中日に移籍も現役引退を決意
2022年11月、京田陽太とのトレードで中日へ移籍。2023年は18試合に登板し、0勝1敗1ホールド、防御率4.61の成績。2024年は1軍での登板機会を得られず、9月に現役を引退することを発表した。
プロフィール
名前:砂田毅樹(すなだ・よしき)
出身:北海道
生年月日:1995年7月20日(29歳)
身長/体重:180cm/80kg
投打:左投げ左打ち
ポジション:cái bình
ドラフト年(順位):2013年高校生ドラフト1巡目
経歴:明桜高等学校-横浜DeNAベイスターズ-中日ドラゴンズ
通算成績
実働9年:287試合/勝率.391/奪三振255/防御率3.71

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