
「楽しいことばかり思い出す」“大橋悠依”栄光から踏み出したパリへの苦しみー締めくくった“95点”の競技人生
競泳女子個人メドレーの第一人者として活躍した大橋悠依は、2024年9月に現役を引退。およそ21年にわたる競技生活に終止符を打った。彼女は2021年の東京五輪で200メートルと400メートルの個人メドレーで金メダルに輝き、女子選手では史上初となる夏季五輪での2冠を達成した。キングギアが実施したインタビューの最終回では、東京五輪からパリへ向かうまでに大橋が味わった苦しみ、そして引退に向かうまでの想いを語ってもらった。※トップ画像撮影/長田慶

東京五輪後に襲った世界女王としての苦難
ーー東京五輪で2つ金メダルを獲られた時は見ていて驚きました。女性初の夏季五輪での2冠獲得はいかがでしたか?
全然ピンと来ていなかったです。五輪というのは分かっているんだけれど、別にほかの大会とも変わらないというか。もともと緊張しいなので、どれだけ小さい大会でも緊張しますし、そんなにそこに挑むことに違いがなかったというか。なので五輪で2つ獲ったんだというのはちょっと他人事という感じは今でもあります。
ーー金メダルを2つ獲ったことで「五輪で金メダルを2つ獲ったアスリート」と見られるようになります。その後、女性では初のプロスイマーに転向されますが、そこからのステップはどう考えていましたか?
どうしても五輪のレースを最後に引退するということはあまり考えられなくて続けることを決めましたし、日本の大会で無観客が続いていたので、家族などに見に来てもらってから辞めたいなという思いがあって続けたのがあります。
でも始まってみると、練習が水泳は長いしきつくて、やらないと簡単に落ちていく競技だと思って。そこに耐えるだけのモチベーションは正直持っていなかったです。
ーー五輪が終わった時に次の五輪について周りは聞きがちなんですけど、次となると長いと思いますし、1日1日が大変なこともあると思います。パリ五輪を目指すモードに入れましたか?
2022年が一番きつかったです。もともと世界水泳が最初福岡の予定だったので続けていたんですが、まずその福岡が延期になりました。結局福岡が2023年になったのでそうしたら「もう次じゃん!」みたいな感じ。パリを目指すというよりはそこには行くんだろうなという気持ちがありました。2022年は6月の(ブタペストでの)世界水泳も全然ダメで、そこで辞めようと思ったり、冬には世界短水路に行ったんですが全然ダメで、「もう辞めます」と平井先生とか周りに言っていたのでそのあたりが闇で、真っ暗でした。
ーー平井伯昌コーチの方針としてパリを目指す可能性はあったんですか?
「どうするの?」という話はしてましたけど「目指しなさい」とは言われなかったです。急にプールに呼ばれて泳いでみればと言われたり、その後に練習しているチームに途中から入れられたりとか。平井先生とよく話していたのは、「どういう風に終わるかがその後の人生にすごく大事なんじゃないか」ということ。そのまま辞めても仕事はあるかもしれないけれど、「水泳に対してどういう気持ちで辞めるのか?」ということを話していました。

滋賀の地で最終レースを終える
ーー2023年に福岡で行われた世界水泳は有観客で、かつ日本で行われましたがあの大会はいかがでしたか?コロナ禍があって観客の前で泳げなくて、歓声のなかで泳ぎたいという欲求はありましたか?
それがすごくあったので、あの世界水泳は最高でした。家族も来てくれたり、親戚や姉、姉の子どもも見に来てくれて、それはすごく嬉しかった。2018年に東京で行われたパンパシフィックの時に、雰囲気とか応援されて力が出る感じをすごく感じて、それをもう1度感じれたような感覚がありました。福岡の世界水泳では観客席が四方向から囲まれているようなプールだったので、久しぶりに自分で頑張ろうと思うのではなくて、勝手に気持ちが動くような感覚を久しぶりに得た大会だったと思います。
ーーそこからパリ五輪へ向かわれると思いますが、東京と比べていかがでしたか?
盛り上がりがすごかったですし、あとは観客席が近くて、一番下の段の人は同じくらいの高さでした。すごく近かったですし、準決勝の隣のレーンがフランスの選手だったので、もう一段階盛り上がったなかで泳げたのがすごく嬉しかったですし、自分がやりたかったことだなと思いました。
ーー昨年10月の引退会見ではパリ五輪の前から引退を想定していると話されてました。パリではどういう泳ぎがしたいとかはありましたか?
もちろん表向きは決勝に行くとか、ひとつでも上の順位をとか言わないといけないんですけど、自分がこういう泳ぎがしたいとか、こういう感覚の泳ぎがしたいというのがあって、それができればまずは良いかなというのがありました。
ーーその後、9月に現役を退かれましたがこのタイミングでの引退はいかがでしたか?
もともと国内のレースを最後にしたいというのは思っていたので、タイミング的にもそこが良いかなというのは思いました。私は地元がすごく好きで、地元を代表する国スポ(国民スポーツ大会)は特殊な大会で、中3くらいから社会人では私より上の選手もいますし、そのチームが一緒になって出る試合というのは珍しい。そういう意味では泳ぎを最後に見せて終えるというのも自分の役割なのかなと考えてそこで引退しようと思いました。
ーー10月に引退会見をされて95点と語られましたが、改めて自らの競技人生は良かったと思いますか?苦しいことも多かった感じですか?
それが、辞めると忘れてしまうんです。嫌だったことももちろん覚えてはいるんですけど、「あの合宿は楽しかった!」とか、「あのメンバーでやった時はああいうことがあったな」とか。楽しいことばかり思い出すので、良かったんだと思います。
ーー現役を退かれてこれからやっていきたいことはありますか?
競泳界ではちゃんと力を持っている選手がちゃんと大きい舞台でその力を出せるようにするということが日本の今の課題ではあると思うので、その部分でできることが自分にはあると思います。そういう部分は協力していきたいですし、個人的にはスポーツ栄養を学ぶ予定で、水泳はほかの種目と比べても栄養の管理とかサポートがあまり行き届いていない部分はあるので、そういうところも変えていけたらと思っています。

大橋悠依(おおはし・ゆい)
1995年10月18日生まれ、滋賀県彦根市出身。イトマン特別コーチ。2018年4月1日株式会社ナガセ入社。幼稚園時代に姉の影響を受けて、彦根イトマンスイミングスクールで水泳を始める。小学校3年生の時に50m背泳ぎで初めてジュニアオリンピックに出場。2014年に東洋大学に入学。2017年の日本選手権にて400m個人メドレーで日本新記録を樹立。世界水泳(ブダペスト)では200m個人メドレーで銀メダル(日本新記録)を獲得。2021年東京オリンピックでは400m個人メドレー・200m個人メドレーにおいて日本女子史上初2冠を達成した。2024年パリオリンピック200m個人メドレーに出場。2024年9月現役引退。
Ảnh:Kei Osada

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