Trail Á hậu Takeshi Kakiki thách thức một lần nữa cho cuộc đua đường mòn cuối cùng "UTMB"!
Á hậu đường chuyên nghiệp Takeshi Kakiki (49 tuổi) đã tuyên bố rechallenge một lần nữa ở tuổi 50, trong tháng 8 năm 2019, để "UTMB" được cho là đỉnh cao nhất của cuộc đua đường mòn. Do đó, một cuộc họp để truyền đạt cảm xúc cờ bạc về thử thách này đã được tổ chức tại một địa điểm nhất định ở Tokyo vào tháng 11 năm 2017.
Hidemi Sakuma
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2017/12/06
「UTMB」は、ヨーロッパアルプスの最高峰モンブランを取り巻くフランス、スイス、イタリアにまたがる山岳地帯を舞台に、走行距離171km、累積標高10,000mを制限時間46時間30分以内で走る極限のトレイルレースで、鏑木選手は40歳の時に日本人初の快挙となる3位で表彰台に立っている。
10年の歳月を経て、極限のトレイルレースへ再び挑む。
鏑木:2019年、私が50歳になった時に、もう一度「UTMB」に出場します。本気で狙っていきたいと思います。「UTMB」は、ヨーロッパモンブランを巡るトレイルランでは最も権威のある、自転車で言えばツールドフランスに匹敵する大会となりますね。
私が40歳の時に「UTMB」で世界3位になったのは大きな成果でありました。 私は元々陸上競技の選手でした。箱根駅伝で走ることを目標に走ってきました。ただ、ランナーとしては能力がなかったのでその想いは叶いませんでした。
トレイルランニングを通じて皆さんにお伝えしたいこと1つあります。それは強く想いを持つことですね。何の能力もない人間が想いを持って立ち向かって世界3位になれたことは、自分にとって大きく意味のあることなんですね。
40歳の手前で役人という安定した地位を投げ打ってトレイルランナーとして夢を進めました。その時、退路を断って「UTMB」で世界一になろうと思ってチャレンジした時は、物凄いプレッシャーとストレスと後がなく、自分を追い込んでいきました。
そういった時に、初めて出会えたことない自分に出会えたことは大きかったですね。極限の中で追い込む時に、自分の爪の先から全てのエレルギーと全ての能力を総動員させて1年を過ごした時の高揚感というのを生涯忘れません。だからこそ、能力のない自分が世界3位の表彰台に立てたと思っています。
その後、左足のアキレス腱の故障と老化との闘いがありました。世界3位を上回ろうと必死に努力を重ねてきましたが、どうしても想いが空回りしてしまい、自分自身の中でどんどん悪い方向へ落ちていく自分を感じました。
「あいつは、もう役割が終わった」という周囲から肌感覚で味わい、悔しさ悲しさと共に、「俺は世界3位になったし、これ以上何を求めるんだ?もうやったじゃないか?自分はもう安住の地位にいてもいいんじゃないか!」という逃げがありました。僕は、プロのトレイルランナーとしていつまでも現役選手でいたかったので、たまらなく辛く情けない想いがありました。
その中で、現役の選手であるのに過去の話ばかりを得意そうにしている自分が嫌で嫌で仕方なかったんですよね。やはり老化には勝てないと、ここ8年の歳月を過ごしてきた訳ですけれど、ただ自分の中で40歳手前で退路を断って集中したあの想いをもう一度自分でやってみたいと数年前から湧き上がってきました。
もう結果にこだわらずに自分の力を総動員して1つのことに集中し、終わった時に何の言い訳もしないで真っ白になるまでとことんやり続けて、そういった場をもう一度自分を輝かせてくれた世界最高峰の場でやってみたいと思います。
非常に厳しい挑戦だと思います。この想いを何日か前に友人に打ち明けると、「ふっ」と笑われました。「お前さ、もう一度輝きたいとか言ってるけどさ、99%とは言わないけど98%は無理だろ。」と友人が言うように僕自身もそう思っています。
落ちる所まで落ちて、大会に出る年までに2年歳をとります。その中で、果たしてできるのかと言う想いは正直あります。だけど、僕は今でも40歳の時の想いがあるんですよね。たとえ1%でも可能性があるのであれば、とことんやってやろうという決意をしました。
今話しながら前向きな気持ちになってきました。チャレンジをポジティブな気持ちでどこまでできるだろうと皆さんの顔を見ていたらなってきましたね(笑)。
厳しいチャレンジで、もうすぐ50歳に手に届く所まで来ました。今まで培ってきたものに安住してしまう同じ世代の人達に、もう一回新しい夢を持ってチャレンジをしてみることで、勇気や希望を感じてもらえれば凄く嬉しいと思います。そして、若い世代の方々に夢や希望を持つことの大切さは何歳になっても大切なんだ、夢を持つからこそ自分がまだ見たことのない世界へ引き上げるということを、身を持って皆さんにお伝えできればと思います。
2019年の9月の1週目に50年の歴史の全てを投入して戦いたいなと思っています。
今日はありがとうございました。 (了)
【Hồ sơ】
鏑木毅(かぶらぎ つよし)
群馬県出身(1968年10月生まれ)
2009年世界最高峰のウルトラトレイルレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(UTMB、3ヶ国周回、走距離166km)」にて世界3位。 また、同年、全米最高峰のトレイルレース「ウエスタンステイツ100マイルズ」で準優勝、2016年「ウルトラフィヨルド」で準優勝など、49歳となる現在も世界トップレベルのトレイルランニングレースで上位入賞を果たしている。 トレイルランニングを始めたのは28歳。地元群馬で開催されたレースに面白半分で出場したのがきっかけ。 群馬県庁で働きながらその後、アマチュア選手として数々の大会に出場し優勝。40歳でプロ選手となる異色の経歴。 現在は競技者の傍ら、講演会、講習会、レースディレクターなど国内でのトレイルランニングの普及にも力を注ぐ。 アジア初の本格的100マイルトレイルレースであり、UTMBの世界初の姉妹レースであるウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)の大会実行委員長を務める。また自らがプロデュースしたトレイルレース「神流マウンテンラン&ウォーク」は2012年に過疎地域自立活性化優良事例として総務大臣賞を受賞、疲弊した山村地域の振興、地域に埋もれた古道の再生など地域を盛り上げるモデルケースとなっている。
【UTMB】
ヨーロッパアルプス最高峰モンブランを一周する世界最高峰のトレイルランニングの大会で走行距離:171km、 累積標高10000m、制限時間46時間30分で競い合うまさに極限の100マイルトレイルレースである。 2003年から「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」の名称で始まったこの大会は2016年に「UTMB」と名称が変更された。 自転車レースの最高峰が「ツール・ド・フランス」であれば、トレイルランニングはこの「UTMB」に当たる。 コースは世界最古の山岳リゾート地であるシャモニをスタートし、反時計周りにフランス、イタリア、スイスの3ヶ国を巡る。これは世界中のハイカーが憧れの「ツール・ド・モンブラン」をベースとした山岳ルートを辿るコースでもある。 日本アルプスを10回程上り、下りするような険しい171kmの道のりは、ハイカーなら1週間から10日以上かかるが、トップ選手は20時間を切るような驚異的な速さで巡る。 “世界一”の称号を求め90ヶ国からトップランナーが集結する。UTMBが開催される8月の最終週は全世界のトレイルランナーが昼夜を問わずこの一戦の勝負の行方に注目している。 日本からもUTMBをメインとした5つのレースカテゴリーに300名以上が参加し、白く輝くモンブラン山群を巡る壮大な旅は世界中のトレイルランナーの憧れの舞台ともいえる。
取材協力/株式会社ゴールドウィン 株式会社Cloud9
Ảnh phỏng vấn / Hidemi Sakuma
10年の歳月を経て、極限のトレイルレースへ再び挑む。
鏑木:2019年、私が50歳になった時に、もう一度「UTMB」に出場します。本気で狙っていきたいと思います。「UTMB」は、ヨーロッパモンブランを巡るトレイルランでは最も権威のある、自転車で言えばツールドフランスに匹敵する大会となりますね。
私が40歳の時に「UTMB」で世界3位になったのは大きな成果でありました。 私は元々陸上競技の選手でした。箱根駅伝で走ることを目標に走ってきました。ただ、ランナーとしては能力がなかったのでその想いは叶いませんでした。
トレイルランニングを通じて皆さんにお伝えしたいこと1つあります。それは強く想いを持つことですね。何の能力もない人間が想いを持って立ち向かって世界3位になれたことは、自分にとって大きく意味のあることなんですね。
40歳の手前で役人という安定した地位を投げ打ってトレイルランナーとして夢を進めました。その時、退路を断って「UTMB」で世界一になろうと思ってチャレンジした時は、物凄いプレッシャーとストレスと後がなく、自分を追い込んでいきました。
そういった時に、初めて出会えたことない自分に出会えたことは大きかったですね。極限の中で追い込む時に、自分の爪の先から全てのエレルギーと全ての能力を総動員させて1年を過ごした時の高揚感というのを生涯忘れません。だからこそ、能力のない自分が世界3位の表彰台に立てたと思っています。
その後、左足のアキレス腱の故障と老化との闘いがありました。世界3位を上回ろうと必死に努力を重ねてきましたが、どうしても想いが空回りしてしまい、自分自身の中でどんどん悪い方向へ落ちていく自分を感じました。
「あいつは、もう役割が終わった」という周囲から肌感覚で味わい、悔しさ悲しさと共に、「俺は世界3位になったし、これ以上何を求めるんだ?もうやったじゃないか?自分はもう安住の地位にいてもいいんじゃないか!」という逃げがありました。僕は、プロのトレイルランナーとしていつまでも現役選手でいたかったので、たまらなく辛く情けない想いがありました。
その中で、現役の選手であるのに過去の話ばかりを得意そうにしている自分が嫌で嫌で仕方なかったんですよね。やはり老化には勝てないと、ここ8年の歳月を過ごしてきた訳ですけれど、ただ自分の中で40歳手前で退路を断って集中したあの想いをもう一度自分でやってみたいと数年前から湧き上がってきました。
もう結果にこだわらずに自分の力を総動員して1つのことに集中し、終わった時に何の言い訳もしないで真っ白になるまでとことんやり続けて、そういった場をもう一度自分を輝かせてくれた世界最高峰の場でやってみたいと思います。
非常に厳しい挑戦だと思います。この想いを何日か前に友人に打ち明けると、「ふっ」と笑われました。「お前さ、もう一度輝きたいとか言ってるけどさ、99%とは言わないけど98%は無理だろ。」と友人が言うように僕自身もそう思っています。
落ちる所まで落ちて、大会に出る年までに2年歳をとります。その中で、果たしてできるのかと言う想いは正直あります。だけど、僕は今でも40歳の時の想いがあるんですよね。たとえ1%でも可能性があるのであれば、とことんやってやろうという決意をしました。
今話しながら前向きな気持ちになってきました。チャレンジをポジティブな気持ちでどこまでできるだろうと皆さんの顔を見ていたらなってきましたね(笑)。
厳しいチャレンジで、もうすぐ50歳に手に届く所まで来ました。今まで培ってきたものに安住してしまう同じ世代の人達に、もう一回新しい夢を持ってチャレンジをしてみることで、勇気や希望を感じてもらえれば凄く嬉しいと思います。そして、若い世代の方々に夢や希望を持つことの大切さは何歳になっても大切なんだ、夢を持つからこそ自分がまだ見たことのない世界へ引き上げるということを、身を持って皆さんにお伝えできればと思います。
2019年の9月の1週目に50年の歴史の全てを投入して戦いたいなと思っています。
今日はありがとうございました。 (了)
鏑木毅 NEVERプロジェクトの動画第一弾「Episode 1 リベンジ、始動」を公開いたしました。
鏑木毅 NEVER特設サイト:
動画URL:
鏑木毅(かぶらぎ つよし)
群馬県出身(1968年10月生まれ)
2009年世界最高峰のウルトラトレイルレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(UTMB、3ヶ国周回、走距離166km)」にて世界3位。 また、同年、全米最高峰のトレイルレース「ウエスタンステイツ100マイルズ」で準優勝、2016年「ウルトラフィヨルド」で準優勝など、49歳となる現在も世界トップレベルのトレイルランニングレースで上位入賞を果たしている。 トレイルランニングを始めたのは28歳。地元群馬で開催されたレースに面白半分で出場したのがきっかけ。 群馬県庁で働きながらその後、アマチュア選手として数々の大会に出場し優勝。40歳でプロ選手となる異色の経歴。 現在は競技者の傍ら、講演会、講習会、レースディレクターなど国内でのトレイルランニングの普及にも力を注ぐ。 アジア初の本格的100マイルトレイルレースであり、UTMBの世界初の姉妹レースであるウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)の大会実行委員長を務める。また自らがプロデュースしたトレイルレース「神流マウンテンラン&ウォーク」は2012年に過疎地域自立活性化優良事例として総務大臣賞を受賞、疲弊した山村地域の振興、地域に埋もれた古道の再生など地域を盛り上げるモデルケースとなっている。
【UTMB】
ヨーロッパアルプス最高峰モンブランを一周する世界最高峰のトレイルランニングの大会で走行距離:171km、 累積標高10000m、制限時間46時間30分で競い合うまさに極限の100マイルトレイルレースである。 2003年から「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」の名称で始まったこの大会は2016年に「UTMB」と名称が変更された。 自転車レースの最高峰が「ツール・ド・フランス」であれば、トレイルランニングはこの「UTMB」に当たる。 コースは世界最古の山岳リゾート地であるシャモニをスタートし、反時計周りにフランス、イタリア、スイスの3ヶ国を巡る。これは世界中のハイカーが憧れの「ツール・ド・モンブラン」をベースとした山岳ルートを辿るコースでもある。 日本アルプスを10回程上り、下りするような険しい171kmの道のりは、ハイカーなら1週間から10日以上かかるが、トップ選手は20時間を切るような驚異的な速さで巡る。 “世界一”の称号を求め90ヶ国からトップランナーが集結する。UTMBが開催される8月の最終週は全世界のトレイルランナーが昼夜を問わずこの一戦の勝負の行方に注目している。 日本からもUTMBをメインとした5つのレースカテゴリーに300名以上が参加し、白く輝くモンブラン山群を巡る壮大な旅は世界中のトレイルランナーの憧れの舞台ともいえる。
取材協力/株式会社ゴールドウィン 株式会社Cloud9
Ảnh phỏng vấn / Hidemi Sakuma