SPIKE WARS - Tập 8 chấm điểm -
So sánh giữa các nhà sản xuất Lập kế hoạch "Spike Wars"
Vàng Daren
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21/06/2016
Episode 8 ~採点~
【Diễn viên】
Người nghe (bộ phận biên tập)
Thạc sĩ Nagai (Hideki Nagai = Tokyo Verdi 1969 =)
◆最後に試着するのはプーマ「エヴォパワーFG」。
──それでは最後はマスター・ナガイにとって最も馴染みの深いプーマ・エヴォパワーFGでございます。
Thầy Nagai「でも、このモデルは履いたことがなかったんだよね。見た感じ、スタッドが細すぎる気がして」
──そこにどんな問題が?
Thầy Nagai「ヨーロッパの下が柔らかいグラウンドだったらいいんだろうけど、日本の芝だと引っかかっちゃいそうな気がしたんだよね」
──食いつきが良すぎると?
Thầy Nagai「うん。昔のスパイクでいうと取り替え式に近い感じ。土までグサッと打ち込むっていうかね。ちょっと踏ん張るとベローンってめくれちゃうことが珍しくないヨーロッパじゃ必須だよね。俺も、クレモネーゼのテストを受けにいった時は、こりゃ絶対に固定じゃダメだって思ったから」
──え? そんなことが?
Thầy Nagai「94年だったかなあ。達ちゃん(発起人K)経由でイタリア在住のライターの方を紹介してもらって、クレモナまで入団テスト、受けにいったのよ。向こうもすごく俺のプレースタイルを気に入ってくれて、スポンサーを連れてくるんだったらすぐ契約だ、みたいな話にはなったんだけどね」
──うまくいっていたら、キング・カズよりも一足早く日本人セリエAジョカトーレが誕生してたかもしれないわけですね。
Thầy Nagai「ただ、あのころは俺も青臭くて、純粋に俺の才能だけを買ってくれるんじゃなかったら意味ねえよ、とか思っててね。結局、それで話はおじゃん」
──惜しいような、惜しくないような。
Thầy Nagai「だね。でも、時々考えるよ。あの時イタリア行ってたら、俺の人生、どうなってたのかなって」
──しかし世の中、知られてないことってあるんですね。ちなみに、マスター・ナガイの場合、どういう経緯でプーマと契約することになられたんですか?
Thầy Nagai「どうだったかなあ‥‥。正直、ジュニア・ユース代表に選ばれたころから、スパイクって提供してもらえるようになってたのよ。たぶん、基本的にはいまでも同じスタイルだと思うけど」
Giới thiệu
Thầy Nagai「で、国士館を中退してヴェルディに入ったときだったかな。それまでもお世話になってたリーベルマンの方から正式に契約をって話をいただいたんだよね」
◆まずデザインは高評価。
──リーベルマン! 懐かしい。かつてプーマのスパイクを扱っていた商社ですね。ちなみに、ぶっちゃけ、契約金というのはいかほど?
Thầy Nagai「いくらだったかなあ。確か、5~600万円だったんじゃないかな」
──あ、いけませんいけません。あまりにも話が脱線しすぎてしまいました。このスパイクのインプレッションをお願いいたします。
Thầy Nagai「デザインはいいよね。あと、実際に履いてみてまず感じるのは、今回のアディダスのスパイク同様に幅広だってこと。俺の足型にはちょっと緩い」
──マスター・ナガイが重視なさっているフィット感はどうでしょうか。
Thầy Nagai「アディダスに比べるとシャープ。ただ、アシックスに比べると落ちる」
◆現時点における採点評価は・・・?
──さて、これで、今回ご用意させていただいた6モデルの試し履きが終了いたしました。このあと、マスター・ナガイには実際に芝生のグラウンドで6スパイクを使用していただきますが、その前に、現時点での6モデルの採点をお願いできますでしょうか。
Thầy Nagai「了解」
──では、まず6位から。
Thầy Nagai「ナイキ。ティエンポ・レジェンド4 HG-E。50点」
──か、辛い。続いて5位を。
Thầy Nagai「ミズノ。ウェーブイグニタス4。60点」
──4位は。
Thầy Nagai「同着だね。プーマのエヴォパワーFGとアディダスX 15・1HG LE。どちらも70点」
──ということは次は2位ですね。
Thầy Nagai「アンダーアーマー。クラッチフィット。85点」
──お! 結構な高得点。で、一位はいうまでもなく‥‥。
Thầy Nagai「アシックス。DSライト X-FLY2。100点。ほんとだったら120点ぐらいつけてもいいぐらい」
──絶賛ですね。
Thầy Nagai「正直、こんなにいいとは思わなかった。ただ、ピッチの上でボールを蹴ってみたら、また印象は変わるかもしれないけどね」
(以下次回へ 取材協力/東京ヴェルディ1969)