Cựu J Leaguer Masaaki Idee chiến đấu ở Hồng Kông và Việt Nam "Vol.2 Mail nhận được từ ông Kazu"
Tôi đã để ý đến anh trai của anh Ideo Masaaki, anh trai của Yosuke Ide, người đã chuyển đến Leeds United ở Anh. Yokohama FC ⇒ Hồng Kông League ⇒ Việt Nam League là một sự nghiệp bất thường. Vol.2 là một câu chuyện tại Yokohama FC Hồng Kông và một câu chuyện về Mail nhận được từ Kazu (Miura Tomori).
Koike Kikuchi
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2018/02/01
Bấm vào đây để Vol.1
ーー阪南大を卒業して横浜FCに入りましたよね。横浜FCには4年間在籍されたと思いますがいかがでしたか?
井出口:1年目など初めの方に試合には出てたんですけれど、2年目や3年目はあまり出れなかったんです。
ーー今振り返るとその原因は何だったと思いますか?
井出口:何だろうな・・。気持ちが弱かったかな。初めはちょいちょいは出させてもらったんですけど、メンタル面が未熟でしたね。自分を上手く表現できなかったと思います。
ーー「俺が!俺が!」みたいな自己主張が出来ずに優しかったんですかね?
井出口: 抜きん出るためにも、もっと自己主張が必要だったかなあと今になっては思いますね。そこから怪我もあったり、良いパフォーマンスができなかったりしたのかもしれません。
ーー横浜FC香港にも行かれてますよね?
井出口:3年間横浜FCにいて、レンタルで1年間、横浜FC香港でプレーし、その次の年に横浜FCに戻ったんですよ。
ーー横浜FC香港に行った時には日本人の選手もいましたよね?
井出口:福田健二さんや吉武剛さんなどがいて心強かったです。
ーー香港が初めての海外リーグだと思うんですけど、日本人選手がいたり、食べ物も美味しいし、住みやすいので香港がスタートでよかったですよね。
井出口:ベトナムに行く!って思えたのも、まず香港での経験があったからです。海外ってこんな感じなんだなと香港でイメージを掴めてベトナムへ行きました。まあ行ったらイメージとかなり違かったんですけど(笑)これもこれで経験になっていいかなあって。
ーー香港は練習が14時か15時からとかじゃなかったですか?1番暑い時間帯にやりますよね。
井出口:確かに15時ぐらいでしたね。グラウンドがチームのものじゃないので。他のチームが練習した後に自分たちのチームがやっていました。水のシャワーを浴びても汗が止まらないくらいに暑かったですね。
ーー日本では活躍していたのに異国に行ってダメになる選手もいますよね。逆に日本ではあんまりだったのに現地では活躍してる選手もいたりしますよね。井手口さんはどっちのタイプでした?
井出口:海外の方が向いてたかな~って感じですね。日本では怪我ばっかりしてたので。海外は周りのことを気にしないから、そういうのが良かったかもしれないですね。
ーーなるほど、確かに日本だったら周りに合わせるとか気を遣いますよね。でも、海外だったら局面を打開するプレーなど、はっきりとしたプレーや結果をより求められますよね?
井出口:そうなんです!助っ人外国人としていくので責任は重いですよね。
ーーボランチだったら。やたらボールが回ってきたんじゃないですか?「井手口、頼む!」みたいな感じで。
井出口:信頼はされていましたが、特にベトナムの時はロングボールが多くて、メチャクチャ走っていた感じです。
ーー国が変わると環境も変わると思いますが、香港のグラウンド状態はいかがでした?
井出口:試合をするスタジアムの芝は、東南アジア特有の深い芝でした。練習の時はほとんど人工芝で、試合は天然芝でした。
晴れている日は固定のスパイクでやって、雨の日は取り換え式のスパイクで。雨が降ったら粘土みたいなグラウンド状態になって、取り換えでも滑りましたよ。
ーー色々なグラウンド環境でプレー出来て経験になりましたよね。香港からまた横浜FCに戻って、自信になった事などありましたか?
井出口:「戻って頑張ろう!」っていう気持ちで帰国しました。でも中々うまくいかなくて。やっと試合出場のチャンスが来たんですけど、出て5分くらいで怪我しちゃって。そこから手術して、シーズンも終わっちゃいました。
ーーどこを手術されたんですか?
井出口:半月板です。完治したぐらいにシーズンが終わり、その時にベトナムの話を頂きました。ベトナムに僕が行くことになった時にカズさん(三浦和良)からメールを頂いたんです。
「今の時代どこの国どこのカテゴリーでやってるなんて関係ありません。自分が燃えれるよう過ごせる場所を探してください。必ず自分のためになります。怪我に気をつけて頑張ってください」
ーーおお!これは凄く嬉しいことですね!
井出口:この時のことは忘れられませんよ。
ーーもう息子くらいでもおかしくない年齢ですよね。
井出口:カズさんは僕の父と同じ年です!!
ーーなんと!!カズさんの凄さが改めてわかった気がします。ベトナムではどのくらいの期間に渡り練習参加をしたのですか?
井手口:1週間くらい参加しました。怪我明けでしたけど、香港の経験もあるし、なんとなく自分の持ち味が出せました。
Vol.3へ続く
ーー阪南大を卒業して横浜FCに入りましたよね。横浜FCには4年間在籍されたと思いますがいかがでしたか?
井出口:1年目など初めの方に試合には出てたんですけれど、2年目や3年目はあまり出れなかったんです。
ーー今振り返るとその原因は何だったと思いますか?
井出口:何だろうな・・。気持ちが弱かったかな。初めはちょいちょいは出させてもらったんですけど、メンタル面が未熟でしたね。自分を上手く表現できなかったと思います。
ーー「俺が!俺が!」みたいな自己主張が出来ずに優しかったんですかね?
井出口: 抜きん出るためにも、もっと自己主張が必要だったかなあと今になっては思いますね。そこから怪我もあったり、良いパフォーマンスができなかったりしたのかもしれません。
ーー横浜FC香港にも行かれてますよね?
井出口:3年間横浜FCにいて、レンタルで1年間、横浜FC香港でプレーし、その次の年に横浜FCに戻ったんですよ。
ーー横浜FC香港に行った時には日本人の選手もいましたよね?
井出口:福田健二さんや吉武剛さんなどがいて心強かったです。
ーー香港が初めての海外リーグだと思うんですけど、日本人選手がいたり、食べ物も美味しいし、住みやすいので香港がスタートでよかったですよね。
井出口:ベトナムに行く!って思えたのも、まず香港での経験があったからです。海外ってこんな感じなんだなと香港でイメージを掴めてベトナムへ行きました。まあ行ったらイメージとかなり違かったんですけど(笑)これもこれで経験になっていいかなあって。
ーー香港は練習が14時か15時からとかじゃなかったですか?1番暑い時間帯にやりますよね。
井出口:確かに15時ぐらいでしたね。グラウンドがチームのものじゃないので。他のチームが練習した後に自分たちのチームがやっていました。水のシャワーを浴びても汗が止まらないくらいに暑かったですね。
ーー日本では活躍していたのに異国に行ってダメになる選手もいますよね。逆に日本ではあんまりだったのに現地では活躍してる選手もいたりしますよね。井手口さんはどっちのタイプでした?
井出口:海外の方が向いてたかな~って感じですね。日本では怪我ばっかりしてたので。海外は周りのことを気にしないから、そういうのが良かったかもしれないですね。
ーーなるほど、確かに日本だったら周りに合わせるとか気を遣いますよね。でも、海外だったら局面を打開するプレーなど、はっきりとしたプレーや結果をより求められますよね?
井出口:そうなんです!助っ人外国人としていくので責任は重いですよね。
ーーボランチだったら。やたらボールが回ってきたんじゃないですか?「井手口、頼む!」みたいな感じで。
井出口:信頼はされていましたが、特にベトナムの時はロングボールが多くて、メチャクチャ走っていた感じです。
ーー国が変わると環境も変わると思いますが、香港のグラウンド状態はいかがでした?
井出口:試合をするスタジアムの芝は、東南アジア特有の深い芝でした。練習の時はほとんど人工芝で、試合は天然芝でした。
晴れている日は固定のスパイクでやって、雨の日は取り換え式のスパイクで。雨が降ったら粘土みたいなグラウンド状態になって、取り換えでも滑りましたよ。
ーー色々なグラウンド環境でプレー出来て経験になりましたよね。香港からまた横浜FCに戻って、自信になった事などありましたか?
井出口:「戻って頑張ろう!」っていう気持ちで帰国しました。でも中々うまくいかなくて。やっと試合出場のチャンスが来たんですけど、出て5分くらいで怪我しちゃって。そこから手術して、シーズンも終わっちゃいました。
ーーどこを手術されたんですか?
井出口:半月板です。完治したぐらいにシーズンが終わり、その時にベトナムの話を頂きました。ベトナムに僕が行くことになった時にカズさん(三浦和良)からメールを頂いたんです。
「今の時代どこの国どこのカテゴリーでやってるなんて関係ありません。自分が燃えれるよう過ごせる場所を探してください。必ず自分のためになります。怪我に気をつけて頑張ってください」
ーーおお!これは凄く嬉しいことですね!
井出口:この時のことは忘れられませんよ。
ーーもう息子くらいでもおかしくない年齢ですよね。
井出口:カズさんは僕の父と同じ年です!!
ーーなんと!!カズさんの凄さが改めてわかった気がします。ベトナムではどのくらいの期間に渡り練習参加をしたのですか?
井手口:1週間くらい参加しました。怪我明けでしたけど、香港の経験もあるし、なんとなく自分の持ち味が出せました。
Vol.3へ続く