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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.30 『昭和後期の高校選手権編』

平成の時代に日本サッカー界は激変しましたが、高校選手権は冬の風物詩的な存在として、今も昔も変わらない盛り上がりです。サッカー不毛の昭和の終わりでも、この大会は毎年人気で高校生の憧れの舞台でした。頂点を決める戦いは国立競技場で行われ、当時のサッカーエリートが個性豊かなスパイクを履いて躍動していました。

Biểu tượng 29634314 1815368455432881 1085668874 oHiroaki Konishi | 2019/01/10
(Tôi bắt đầu một blog tăng đột biến.https://maradonaboots.com/)私の高校時代は高校選手権人気が頂点の頃で、清水東3羽烏が帝京高校と決勝を戦った試合(巻頭写真の83年度大会)は国立競技場が超満員でした。 冬枯れた芝と帝京カラーのヤスダスパイクが懐かしく思い出されます。 

ただ、決勝の日が晴天とは限らず、大雪だった年もありました。あの大会の選手ですら、現役選手はほとんどいないのかと思うと、時が経つのは早いものです。 

82年度大会では清水東高校が優勝しましたが、準決勝・決勝とも国立のピッチ状態はよくなく、せっかくのスパイクが泥だらけでした。
   

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Hình 182年度高校選手権決勝・清水東対韮崎(左)。左の後向きの2選手(梅田選手と望月選手と思います)、右の大榎選手はプーマ・トレロ(こちらをご参照下さい。 http://king-gear.com/articles/736)を履いていたと思います。梅田選手は内田選手をSBにコンバートした元清水東監督です。こちらは偶然見つけた望月選手の近影(https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/38363/)。  

さて、以前パラメヒコ開発時のことを書かせていただきましたが(http://king-gear.com/articles/774)、高校サッカーにおいてもある大会を境にして、パラメヒコ革命が起こります。 

図2上が84年度、下が86年度大会のともに決勝戦の写真です。下は11番の選手以外おそらく全員パラメヒコ(もしくはメキシコライト)です。 西ドイツ製プーマスパイクフェチにとっては85年度大会以前の画像でないと、いま一つテンションが上がりません。  

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Hình 2 下の11番のサントス選手はアシックスでした。17番、8番の選手のスパイク拡大図が挿入写真。上の黒ソックスの選手のプーマはステップスターで、詳細は図6Vui lòng tham khảo.  

この頃のカラースパイクの供給に一番貢献していたメーカーはヤスダだったと思います。 昨年クラウドファンディングにより復活し、これから生産を継続されるそうです。 当時ヤスダ愛用選手であった手倉森誠さんがアンバサダーに就任されました。高校時代の手倉森兄弟は五戸高校のエースでした。

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図3  五戸高校のヤスダスパイクは多少地味でしたが、チームカラーのラインだったようです。右はクラウドファンディングで入手した限定復刻ヤスダスパイク。もったいなくて使えませんが、これから作られ続けるのであれば履いてみたいと思います。 

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Hình 4
 兄弟揃って入団された住金ではヤスダではなく、お二人別々のメーカーのスパイクを履いておられました。
高校に比較して、大学、JSLでのヤスダスパイク使用選手は少なかったと思います。お二人はパラメヒコ(浩選手)とコパSL(誠選手)をお使いだったようです。   

この頃の国内外の代表やトップ選手がカラースパイクを履くことはほとんどなく、静岡県代表の高校チームも黒スパイクの選手ばかりだったと思います。しかし、帝京高校のみならず、他県の高校でもチームカラーに合わせたスパイクを履く選手が多くいました。

 
島原商(図5左。写真は長崎県選抜)や大商大の選手は白に黒ラインのスパイクをよくご使用でした。 プーマのカラースパイクはあまり記憶になかったのですが、86年のインターハイで愛知・中京高校の選手が赤いプーマ(ベースモデルはジャスパーか?)を履いていました(中央)。 決勝の対戦相手は国見高校で、この年の夏はスパイク(ヤスダ)がかなり派手ですが、冬(図2下)はパラメヒコ愛用者が激増した感じです。 

右はキングギアでもお馴染み国見高出身・永井選手の2年後輩中口選手(MIOびわこ滋賀監督)で、永井選手がキングギアで披露したコパムンとパラメヒコの同時履き(
http://king-gear.com/articles/204)を既に実践していました(あくまで練習の時です)。 

Ngón tay cái efbc96Hình 80年代前半の長崎県選抜(左)、91年頃の国見・中口選手(右)。 中央は86年インターハイ決勝、国見対中京戦。名将・小嶺監督が島原商から国見高校へ異動された頃で、急に国見が全国の強豪になり、監督の偉大さを感じました。 

  さて、国内メーカーの昔のモデルも興味はありますが、にわかコレクターには敷居が高いので、この頃の西ドイツ製についてご紹介します。 図2上のプーマを履いている選手のスパイクはステップスターです(図6)。 

トレロの後継版のようなモデルだったと思います。価格も高く、ソールが派手で、それほど人気があるモデルではなかったと思っていましたが、国内外でたまに見かけました。 
  

Ngón tay cái efbc97Hình 6 ステップスターは派手な赤いソールのプラスチックが土ふまず部分まで伸びています。 外国版では側面に「STEP STAR」ではなく、「MARADONA」と記されている場合もあります。  

黒崎選手(図7左)はパラメヒコ革命の86年度選手権でもステップスターを履いており、かなりスパイク通だったかもしれません。今年の選手権は壮絶なPK戦がありましたが、この大会では黒崎選手の宇都宮学園が室蘭大谷高校に14対15のPK戦で敗れてしまいました。 

ステップスターは日本リーグではあまり見かけませんでしたが、登場した直後の84年EUROではスペインやポルトガルの選手が使用しており、86年W杯でも何人かは愛用していたようです。

Ngón tay cái efbc98Hình 左から黒崎選手、ガジェゴ選手(スペイン、84năm EURO)、クラウセン選手(アルゼンチン、86Năm W杯)。   

同時期に登場した固定式の西ドイツ製モデル、リーガスターはもっとマイナーでした。 当時の常識を変えるような、かなり派手なソールが特徴でしたが、あまり受け入れられなかったようで、国際試合などで履く選手はほとんどいませんでした。 かろうじてカズ選手のブラジル時代の写真中に使用選手を見つけました。    
 

Ngón tay cái efbc99Hình リーガスターは入手した時に既にソールが別物に交換されていました(左)。

 アッパーはステップスターに似ていますが、ステップスターはカンガルー革で、こちらはカーフです。つま先のステッチパターンもかなり異なります。11番のカズ選手のスパイクはこの頃すでにパラメヒコのようです。   

カズ選手のスパイクと言えばプーマですが、ブラジル時代の初期はアシックスでした。また、ミスターパラメヒコの中山選手も唯一出場した選手権(84年度大会)ではアディダスでした。   

Ngón tay cái efbc91efbc90Hình 中山選手(藤枝東)のスパイクはフランス製のイベリカ…。しかもスタッドが赤。渋すぎです。イベリカについてはこちらをどうぞ(http://king-gear.com/articles/910)。 

 昨今、静岡出身の日本代表選手が少なくなったとのことですが、この頃はタレントの宝庫で、高校はもちろん、小学生の清水FCも非常に強いチームでした。 

図10左は後の静岡出身スター選手達で、手前右の小学生が高校生になった時の写真が右です。ミスターコパムンの藤田選手(清商)でした。
もう一人の小学生は高橋佳秀選手で、清水東に進学し、お二人は筑波大学でもチームメイトでした。 

Ngón tay cái efbc91efbc91Hình 84年少年サッカー・ゴール誌の対談記事。藤田選手(当時清水FC)は説明するまでもない名選手に成長され、隣の高橋選手もJリーガーとして水戸、京都などで活躍されました。藤田選手は高校時代からプロ引退までコパムンがお好きだったようです。   

藤田選手が高校時代の頃のコパムンはシュータンマークが青で、かかとは大きなトレフォイルマークのみのモデルでした(こちらもご参照下さい。 http://king-gear.com/articles/866)。
   


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Hình 最近入手した昔のコパムン(下)。シュータンマークの色が? 青が褪せたのか?もともとの色(薄緑?)? ナゾのモデルです。

そういえば、昨今の高校選手権はほとんどのレフリーがパラメヒコですね。最近、熊本の黒木選手がパラメヒコユーザーであることを知りました(https://www.instagram.com/p/Br_oE4IgMF2/)。恩師は巻頭写真の試合で決勝点をアシストした平岡選手だそうです。


(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)     


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