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上田絢加、スキーモへの情熱:夢を追い続けた私のスポーツ人生 VOL1

自分の信じた夢を追い続ける。それは、例え幾つになっても、どんな逆境が待ち受けたとしても、そこに挑むことは人生の醍醐味かもしれない。そんな夢追い人とは、2026年ミラノ冬季オリンピックで新種目となる「スキーモ」に全力で挑んでいる上田絢加さんだ。スキー板を履いて歩き、板を担いで走り、そして滑り降りるという過酷なスポーツに魅了された彼女は、大企業に就職していた25歳の時にスキーモと出会った。高校までの陸上経験を活かし、瞬く間に頭角を現し、2年後には日本選手権で準優勝を果たした。 昨年、上田さんはスキーモに専念するため、思い切って会社を辞め、群馬に移住するという大胆な決断をした。現在、過去、そして未来にわたる上田さんの情熱と挑戦の物語を、余すことなく語ってもらった。

Biểu tượngIppei Ippei | 2024/06/10

運動能力よりも継続力!私の得意分野は「続けること」

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撮影:長田慶

スポーツとの出会いは、4歳の時に始めた水泳からでした。約10年間続けた水泳は、私にとって特別な思い出。親が私に水泳をやらせたのは、基礎体力をつけるためだったのかもしれません。特に身体が弱かったわけではないのですが、水中で体を動かすことが、私にはとても良い影響を与えたのでしょう。

それから、スキーも小さい頃から楽しんでいました。正確な年齢は覚えていませんが、プラスチックスキーは3歳頃から、小学校2年生頃には普通のスキー板を履いていましたね。大阪出身の私ですが、両親がスキー部出身だったので、長野に休日によく行っていました。両親と一緒のスキー旅行は、私にとって特別な冒険でした。

スポーツに夢中だった私は、ゲームや漫画にはほとんど興味を示さずに習い事に励むか、外で遊ぶかという子ども時代を過ごしていました。

ただただスポーツをすることが楽しかったんです。クラスで一番スポーツが得意というわけではありませんでしたが、私は長く続けることが得意で10年間水泳を続けられたのは、その証拠だと思います。

満点以外は悔しい!中学時代の負けず嫌いエピソード

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撮影:長田慶

中学校時代、私は陸上部に入っていました。でも、その頃の私はスポーツもそこそこ頑張る感じで、勝ちたいという気持ちはあまり強くなかったかもしれません。その一方で、勉強では負けず嫌いで定期テストで500点満点中496点を取ったりして、満点じゃないと悔しいと思うほどでした。

高校に進学してからは、本格的に部活に取り組み始めることに。400メートルハードルに挑戦し、周りには同じように気持ちの高い仲間が多かったです。ここで、スポーツと真剣に向き合うタイミングが来たのかもしれません。それまでスポーツに向き合っていなかったわけではないですが、負ける悔しさや自分が成長していく楽しさを強く感じた期間でした。

しかし、高校では部活に夢中になるあまり、志望校に合格できる学力が伴わず、一浪して大学に進学することになります。

高校時代の競技レベルや大会での順位は、全然大したことはありません。大阪は陸上が強く、大阪大会を抜けられなかったんです。大阪の決勝までは行くものの、近畿大会に進めるのは6位までで、私は7位と惜しい結果が多かったです。悔しい記憶の方が強い、高校の陸上部でしたね。

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撮影:長田慶

一浪した理由は目指した大学があったからです。私の通っていた高校は国公立志向が強かったので、私も国公立に行きたいなと。スポーツ社会学を勉強したかったので、それが学べる大学に絞って勉強。浪人時代は勉強だけに集中し、1日14時間やっていましたね。陸上での悔しさを勉強に転換したのかもしれません。やれることはやったという感覚が強かった。最終的に希望の大学に入学できて良かったと思っています。目標に向かって頑張ることは楽しいですから。

100キロ走って見えた新しい自分!

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撮影:長田慶

大学の最初の1年は普通に楽しかったですが、明確な目標を自分で探さないといけないことに悩んでいました。毎日楽しいはずなのに、何か物足りなさを感じていて。私が入った学科は、周りが体育会の部活に入っている学生ばかりだったのですが、私は部活に入らなかったんです。みんなが大きな目標を目指して努力している中で、私は何を糧に生活すればいいのか悩んでいました。

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画像提供:上田絢加(本人)

最初に部活に入らなかった理由の一つは、スキーがしたかったからです。基礎スキーをしたかったのですが、大学の体育会には基礎スキー部がありませんでした。

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撮影:長田慶

自分がどうやったら「今の自分を認められるか?」を悩んでいた時に、友達に誘われてフルマラソンを走ることに。それがとても楽しくて、「やっぱり私には走ることが合っているのかもしれない」と。それから、フルマラソンに何回か参加し、次は距離を伸ばして100キロマラソンやウルトラマラソンに挑戦しました。体育会の部活の子たちとのギャップは完全には埋まらなかったですが、自分も100キロ走ったという達成感を得ることができて、少しずつ自信を取り戻しました。自分なりに頑張れていると感じられるようになりました。

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提供画像:上田絢加(本人)

チャレンジすることに対しては、失敗してもいいからやってみるという軽い感覚でした。100キロ走ったら自分がどうなるのか試してみたいと。練習では20キロとか30キロくらいしか走りませんでしたが、レースや大会になると走れてしまうのが面白かったですね。

今も「明日人生が終わってもいい」という気持ちで生きています。

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撮影:長田慶

大学卒業まで、旅行も大好きだったので、全国各地のマラソンと旅行を組み合わせて、それが自分の大学生活の楽しみになっていましたね。マルタ共和国で行われるマルタマラソンに参加し、その時は2週間ほどヨーロッパを旅行しながら参加したり、とても面白かったです。


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提供画像:上田絢加(本人)


日本国内でも、海外でもいくつかの大会に出たり、旅行を楽しんだり。当時は、「今しかできない」と思っていたら、まさか今こんなに海外に行くことになるとは思っていませんでした(笑)。

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撮影:長田慶

ずっと好奇心は旺盛です。何かをやらずに終わるのが嫌で、失敗してもいいからやってみる。失敗したとしてもそれは成功の手掛かりになります。今も「明日人生が終わってもいい」という気持ちで生きています。やり残していることはないと言い切れる毎日を送るように心がけています。

だから、運動しない日はほとんどありませんね。体を動かさないと気持ち悪いと感じてしまう。ただ、オフの日も作らないといけないので、お休みの日は意識的に買い物したり美味しいものを食べに行ったりしています。


vol.2につづく。

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上田絢加、スキーモへの情熱:夢を追い続けた私のスポーツ人生 VOL2

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上田絢加(うえだあやか)

1993年2月10日生まれ、大阪府出身、群馬県在住中央カレッジグループ所属、THE NORTH FACE アスリート。神戸大学卒業後、25歳からスカイランニングに挑戦。大会初出場となる2018年のアジア選手権で3位に入る。会社員の傍ら競技に取り組み、2020年はスカイランニング日本選手権で初優勝、2021年にはスカイランナージャパンシリーズで史上初のスカイ、バーティカルの2種目で年間チャンピオンに輝いた。現在はスキーモで2026年のミラノ・コルティナダンペッツォ五輪を目指すため、群馬県に移住。昨シーズンのワールドカップ初戦のミックスリレー種目では11位を獲得。夏も冬も山で活動する二刀流のアスリート。


取材場所:渋谷SLOTH