
ENEOSサンフラワーズの宮崎早織が"憧れ”を力に変えて、走り続ける理由とは?
ENEOSサンフラワーズ、そしてバスケットボール女子日本代表の正ポイントガードとして、コートを自在に駆け巡る宮崎早織選手。その華麗なドリブル、鋭いパス、そしてプレー中に浮かぶ優しい笑顔。その裏には、計り知れない努力と数々の挫折が隠されている。幼い頃、姉に憧れてバスケットボールを始めた一人の少女が、なぜここまで走り続けることができたのか。その答えを探るべく、彼女の原点から丁寧に話を聞いた。※トップ画像撮影/長田慶

「私もあんなふうに!」―姉への憧れから始まったバスケ人生
私がバスケットボールを始めたのは、小学校2年生のとき。きっかけは姉です。試合で活躍する姉の姿が本当にかっこよくて、観るたびに「私もあんなふうにボールを追いかけたい!」と憧れました。
両親もスポーツ経験者、兄はプロサッカー選手だったので、スポーツはいつも生活の一部にありました。でも、そのときの私は、ただ楽しいという気持ちだけで、ここまで夢中になるなんて思ってもいなかったんです。
撮影/長田慶
バスケをやってみて最初に楽しいと感じたのは、意外にも「シュート」ではなく「ボールを奪う瞬間」でした。相手の手からボールを奪うあの快感。得点を決めるよりも、その一瞬の達成感がたまらなくて、気づけばどんどんバスケにのめり込んでいました。
私自身はあまり覚えていないんですが、当時のミニバスのコーチによると、始めたばかりの頃から「試合に出たい!試合に出たい!」と声を張り上げていたそうです。でも、いざ試合に出ると何をしたらいいかわからず、コートの真ん中で泣いてしまったこともあったとか(笑)。今思えば、そんな無邪気さがあったからこそ、純粋に楽しみながら続けられたんだと思います。
練習から抜け出し、試食コーナーへ走ったキャプテンの反抗心。
撮影/長田慶
中学生のとき、「足が速い」。これが自分の武器になるかもしれないとわかった瞬間、私の中で何かが変わりました。それまでは「楽しいからやる」だけだったバスケットが、「もっと上手くなりたい」「もっと強くなれるはず」という具体的な目標に変わったんです。スピードを活かした1対1が得意で、点を取りに行くプレーが好きでした。そんな自信もあり、県大会では優勝するなどチームは県内で強い方でした。でも最後の大会では悔しくも負けてしまい、関東大会には届かなかったんです。
撮影/長田慶
とはいえ、当時の私は真面目一辺倒ではありませんでした。外周ランニングが大嫌いで、親友と一緒に脱走する常習犯でした(笑)。「なんでバスケしに来てるのに、こんなに走らされるの?」と文句を言いながら、コースを抜け出して近くの試食コーナーへ直行。お菓子をつまんでから水道で髪を濡らし、疲れたふりをして体育館に戻る――そんなことを、真剣にやっていました。キャプテンとしては失格だったかもしれませんが、あの頃の私には「自由さ」が必要だったんだと思います。
「もっと勝ちたい」という新たな感情―インターハイが変えた意識
撮影/長田慶
高校に進むと、1年生の途中から試合に出るようになりました。先輩の怪我がきっかけで巡ってきたチャンス。そのときの私は緊張よりも「やらなきゃ」という気持ちが強く、ただ必死でした。ポイントガードではなく2番ポジションで、走って動いて、ひたすらチームの力になることだけを考えていました。
そんな中、初めての全国大会となったインターハイで、テレビでしか見たことのなかった桜花学園高校(愛知県)と対戦することに。あの大会では「考えるバスケット」がまだ身についておらず、チームの中で好きなようにやらせてもらっている感覚がありました。それでも、みんなが私を受け入れてくれて、初めての全国大会を経験できたことは大きな転機になりました。
結果として、インターハイではベスト16で桜花学園に敗れてしまいました。でも、その試合が私の意識を大きく変えたんです。それまでは「試合に出られればいい」とか「バスケが楽しい」くらいの気持ちでした。でも、全国大会で戦い、桜花と試合をして初めて「勝ちたい」と思うようになりました。「もっと上に行きたい」という気持ちが芽生えた瞬間でした。
憧れの選手たちとチームメイトに、夢が現実になった瞬間。
撮影/長田慶
インターハイでの活躍が評価され、U16女子日本代表にも選ばれました。突然の話で、「えっ、私が?」と驚きました。他に選ばれていたのは、酒井彩等さんや山田愛さん、そして馬瓜エブリンさんといった、レベルの違う選手たち。中学生の頃に対戦したことはありましたが、まさか彼女たちと同じチームでコートに立つ日が来るとは思ってもいませんでした。
そして、「第2回FIBA ASIA U-16女子バスケットボール選手権大会」への出場。この経験は、私にとって大きなステップアップの場になりました。憧れの選手たちと肩を並べ、同じ目標に向かって戦う中で、「もっと上手くなりたい」「もっと強くなりたい」という思いが、より一層強くなったのを感じました。
宮崎早織
1995年8月27日生まれ、埼玉県川越市出身。ENEOSサンフラワーズ所属。小学3年生のときに南古谷アクロスに入ってバスケットボールを始め、与野東中学校を卒業後、愛媛県の聖カタリナ女子高校(現聖カタリナ学園高校)に進学。1年時から全国大会に出場し、3年時のウインターカップでベスト5に選ばれた。2014年にJX-ENEOS(現ENEOS)サンフラワーズに入団。2020-21シーズンからスターターに定着すると、同年のWリーグ・ベスト5に初選出され、東京2020オリンピックでは日本代表の一員として銀メダルを獲得。その後は代表チームでもポイントカードのスターターを任され、パリ2024オリンピック世界最終予選ではハンガリー会場のベスト5に選ばれる活躍で予選突破に大きく貢献。自身2度目のオリンピックとなったパリ大会は全3試合に先発出場した。2024年11月6日には自身の半生を振り返った書籍『あしたも笑顔で(ベースボール・マガジン社)』を出版。ファンだけでなく、次世代に向けて積極的な活動も行っている。
Hair&make:Yuzuka Murasawa(PUENTE Inc.)
Ảnh:Kei Osada

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