
「下積みからオリンピックへ」宮崎早織が挑戦の先に見えた景色とは
2014年にENEOSサンフラワーズに入団してから、ずっとバスケットボールと向き合い続けてきた宮崎早織。華やかな舞台の裏では、長い下積みや悔しさ、もがき続けた日々があった。それでも「挑戦し続けることで自分を超えたい」という思いを胸に、東京オリンピックからパリオリンピックへ歩みを進めた。チームをまとめる先輩としての姿、若い選手たちへの思い、そしてバスケットボールを通じて見つけた自分らしさとは―※トップ画像撮影/長田慶

「即決だった」―ENEOSを選んだ理由と“黄金世代”への憧れ
撮影/長田慶
ENEOSに入ったのは、2014年。学校を卒業した後、声をかけていただいて所属することになりました。他のチームの練習には行かず、迷わずENEOS一本で決めていましたね。当時のENEOSは“黄金世代”と呼ばれる選手たちがそろっていて、まさに代表選手が集まるチーム。その中に自分が入ることに、期待と同時にプレッシャーも感じていました。
最初の頃はとにかく必死で、自分の強みなんて考える余裕もなかったです。ただ、何年か下積みを重ねてきた今振り返ると、「スピード」が昔からずっと自分の武器だったんだなと思います。
でも、そのスピードを磨くために特別なトレーニングをしたわけじゃないんです。私は自分から走り込むタイプじゃなくて、練習中に与えられるトレーニングを丁寧に取り組むだけでした。それでも、自分のプレーを形にするうえで自然と磨かれていったんだと思います。
下積み時代は、正直言ってつらい日々でした。試合に出られない悔しさと、「どうしてこの人たちにはできて、自分にはできないんだろう」という不甲斐なさ。その思いがあったからこそ、絶対にやり遂げるんだという気持ちで頑張っていました。
それでも7年間もの間、伸び悩むこともあって、「何のためにやっているんだろう」と思ったこともあります。でも、その7年があったからこそ、今がある。あの時間はすごく必要なもので、我慢してよかったなと今では思えます。むしろ、7年で済んで良かったなとも感じています。
「私は私、他人は他人」―比べることをやめて見つけた自分らしさ
撮影/長田慶
最近は心理学やメンタルの向き合い方を学ぶようになりました。学ぶと全然違いますね。自分を知れるきっかけにもなるので、楽しいんです。勝負の世界にいると、どうしてもマイナス思考になることもあります。
でも、そんなときは「まあ、いっか」という言葉を心に留めるようにしています。この言葉があると、自然と気持ちを切り替えることができるんです。サウナに行ったり、バスケットから一度離れてリフレッシュすることも大事ですね。
以前は人と比べてしまい、逃げたくなることもありました。「自分らしさ」を保ちながら一定のプレーを維持することに苦しさを感じていた時期も。でも、経験を重ねていくうちに、そこに隠れた楽しさに気づくようになりました。今では「私は私、他人は他人」と考えられるようになったんです。
もし比べそうになったら、それは自分が疲れているサイン。そんなときは少し環境を変えるために、外出したり、一人になれる時間を作るようにしています。
私は自分の目標や決意を、ブレずに持ち続けるタイプです。どんなときも、「自分を超える」という挑戦を忘れない。それが私にとってのバスケットボールなんです。
「みんなが楽しく過ごせたら、それでいい」―大切にする気配りの心
撮影/長田慶
みんなが平和に楽しく過ごしてくれたら、それだけで嬉しいんです。だから、普段から周りに気を配るようにしています。これを意識するようになったのは、高校時代からですかね。でも、特にENEOSに入った頃から、人の表情や様子をよく見るようになりました。「今、どう感じているんだろう」って、さりげなく察するようにしてきた気がします。
チームメイトやマネージャーさんとご飯に行くことも多いですけど、実は後輩にはちょっと気を使ってしまいます(笑)。先輩には全然気を使わないんですけどね。後輩たちって、普段から私たち先輩のためにいろいろやってくれてるじゃないですか。それなのに、さらに気を使わせるのが申し訳なくて。だから、後輩たちが話しかけてくれるとめちゃくちゃ嬉しいんですけど、「私、怖くないよね?」って内心いつも思ってます(笑)。
私、ENEOSに入った最初の5年間はずっと一番下でした。上には「お姉さんたち」がいて、見上げるばかりの日々だったんです。でも、ここ5年で立場が逆転して、自分が先輩になって。最初は戸惑いましたけど、結局、立場が変わってもやることは同じなんだなって感じています。今は若い子たちがたくさんいて、それぞれが一生懸命挑戦してくれているので、私も声をかけながら一緒に成長している感覚です。
試合を観に来てくださるお客さんに、自分たちの努力や良さを見せるのが私たちの仕事だと思っています。だからこそ、若い子たちにも「自分のプレーを観て喜んでくれる人がいるんだよ」って伝えたいですね。それがプロとしての自覚につながると思うので。
「観客みたいな気分だった」―東京オリンピックで感じた壁と学び
撮影/長田慶
東京オリンピックは、私にとって本当に特別な大会でした。でも正直に言うと、観客みたいな気分で参加していました。A代表の経験がほとんどないまま、いきなり大舞台に立つことになって、自分がメダルを取ったというよりも、先輩たちの頑張りのおかげで手にできた結果だと感じています。
それでも、あの場で得た経験は大きかったです。初めて海外のトップ選手たちと戦って、自分に足りないものや乗り越えるべき壁がはっきり見えました。
そこから3年間はパリオリンピックのために全力で取り組みました。「次は主力として出場する」――それが私の目標でした。
1対1のスキルやスリーポイントシュートの練習を徹底的にやり込んで、迎えたパリでは、全力を尽くすことができました。もちろん、チームとしては悔しい結果もありましたが、自分のプレーには満足しています。
「バスケットボールは、挑戦の連続」―パリで全力を尽くした日々
撮影/長田慶
東京とパリでは試合の内容も全然違いました。東京はまだスカウティングされていない状態で、自分たちの勢いで勝ち取ったメダルだったと思います。でも、パリでは相手に徹底的に研究されていて、簡単にはいかない試合が続きました。それでも、良いチームで戦えたことが嬉しかったですね。
4年後のロサンゼルスオリンピックについては、まだ正直なところ考えていません。この年齢になると、まずは1年1年、怪我をせずにシーズンを戦い抜くことが最優先です。今は目の前の1試合1試合を大切にして、結果を残していく。それが今の私にとって一番大事なことだと思っています。
撮影/長田慶
バスケットボールは、挑戦の連続です。それでも、自分らしくいられる場所。これからも、その自分らしさを大切にして、全力でコートに立ち続けたいと思っています。
宮崎早織
1995年8月27日生まれ、埼玉県川越市出身。ENEOSサンフラワーズ所属。小学3年生のときに南古谷アクロスに入ってバスケットボールを始め、与野東中学校を卒業後、愛媛県の聖カタリナ女子高校(現聖カタリナ学園高校)に進学。1年時から全国大会に出場し、3年時のウインターカップでベスト5に選ばれた。2014年にJX-ENEOS(現ENEOS)サンフラワーズに入団。2020-21シーズンからスターターに定着すると、同年のWリーグ・ベスト5に初選出され、東京2020オリンピックでは日本代表の一員として銀メダルを獲得。その後は代表チームでもポイントカードのスターターを任され、パリ2024オリンピック世界最終予選ではハンガリー会場のベスト5に選ばれる活躍で予選突破に大きく貢献。自身2度目のオリンピックとなったパリ大会は全3試合に先発出場した。2024年11月6日には自身の半生を振り返った書籍『あしたも笑顔で(ベースボール・マガジン社)』を出版。ファンだけでなく、次世代に向けて積極的な活動も行っている。
Hair&make:Yuzuka Murasawa(PUENTE Inc.)
Ảnh:Kei Osada

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