
Hãy hỏi B Leager! Yuki Togashi, chỉ huy của thế giới bóng rổ Nhật Bản, "Giai đoạn đẹp nhất thế giới" Vol.1 "Hai thách thức của người Mỹ, chưa bao giờ hài lòng"
15歳の頃、あなたはどんな日々を過ごしていただろうか。多くの人は高校に進学し、新たな道を歩み始めて間もない時期。ある少年は、バスケットを極めるために1人アメリカへ渡った。身長167㎝という小柄な体型にも関わらず、世界最高峰の地で身を削り、今では日本バスケ界の司令塔とまで呼ばれるようになった。コートの空気を切り裂くような高速ドリブル、対峙したビッグマンをあざ笑うかのように決めるフローター。その一連のプレーを聞いて思い浮かぶのは1人しかいない。千葉ジェッツふなばしのポイントガード・富樫勇樹選手。このインタビューでは、アメリカ挑戦によって得た経験、そして若干24歳にして日本代表の中心選手に登りつめるまでの道のりを聞いた。

ー今では日本バスケ界の第一線を駆け抜けている富樫選手ですが、そもそもバスケを始めるきっかけはなんだったのでしょうか?
富樫:両親ともに学生時代バスケをしていたのですが、父親がバスケのコーチをしていたことがきっかけとしてあります。ただ、父に半分無理やり練習場に連れて行かれ、そこから始めたということもあり、自分でやりたくてバスケを始めたわけではないですね。
ー「やりたくて始めたわけではない」というのが意外でした。それぞれ監督と選手という立場でもあるお2人ですが、家に帰って監督(お父さん)がいるというのは違和感を感じる部分もあったのでは?
富樫:やはり複雑な気持ちはありました。父とはもともと家だけではなく、部活でもほとんど会話はしないのですが、バスケのコート上ではよく叱られていたんです。
部活を終えて帰ると、その怒った本人が普通にいる、というのは正直すごく嫌でしたね。なので当時は父から何を言われても無視してたかもしれません(笑)。

部活を終えて帰ると、その怒った本人が普通にいる、というのは正直すごく嫌でしたね。なので当時は父から何を言われても無視してたかもしれません(笑)。

ーそうですよね(笑)。ただ富樫選手は中学卒業後、すぐにアメリカへプレーする舞台を移しましたが、海外挑戦という決断の裏にはお父さんの影響があったのでしょうか?
富樫:父に行けと言われたから渡米したわけではありません。当時はアメリカへの挑戦か、日本の高校に進学した方がいいのか悩んでいたのですが、周りの友達やバスケ関係者から「アメリカに行ってみなよ!」と後押ししてもらったことが一番大きかったんです。
ただ、海を渡ることを決めたものの、まだ多少悩んでいた部分はありましたね。「行けばなんとかなる」とは思ってはいましたが、英語は不得意だったので。だからといって一生懸命に英語を勉強したわけでもなく、あまり危機感もなかったので、「もう考えるのをやめて、とりあえず行ってみよう!」って開き直ることにしました。
ー海外でのコミュニケーションには英語は必須だと思うのですが、アメリカに行ってから勉強を?
富樫:渡米してからはさすがに勉強しましたね。でも最初は全くできなくて(笑)。とりあえずひたすら単語だけを覚えていたので、文章で話すというより単語を並べて会話していましたから。おそらく聞いている方からしたら、何を話したがっているのか分からなかったと思います(笑)。
アメリカでは在籍していたチームの寮に住んでいたということもあり、メンバーと24時間365日ともに生活していく中で、少しずつコミュニケーションできるようになっていった、という感じですね。

ーなるほど。ではプレーの面に関してはいかがでしたか?
富樫:悔しいですけど、アメリカでの高校3年間は自信を持ってプレーできないまま終わってしまったんです。
中学までやってきたことが全く通用しなかったですし、たまに活躍できたとしても常にその調子を維持することが難しかった。それでも監督になんとか試合に出してもらっていたのですが、結局最後まで確固たる自信を持つことはできませんでした。
プレーの内容にしても、スペースが空いたらシュートを打って、その後は一生懸命ディフェンスをする。そういう単調なプレーをすることしかできず、自分のプレースタイルを突き通すことができなかった。
なので試合をしていて楽しいと思ったり、満足感を得たことは1度もないんです。
ただ、今振り返ればアメリカで過ごした高校3年間の経験があったからこそ、ここまで成長できたんだと思います。
ー高校卒業後、日本に帰国して秋田ノーザンハピネッツに入団されました。日本でプレーをして結果を出せたことによって、アメリカでの成長を確信できたということでしょうか?
富樫:そうですね。日本に帰って来てからオフェンスだけでなくディフェンスの面でもチームに貢献できていたので、「あぁ自分のプレーが通用しているな」と実感しました。そういったプレーの面に関しては監督も称賛してくださったので、やはりアメリカでの経験は無駄ではなかったと思います。

ー2013−14シーズン後には再びアメリカへ挑戦されましたが、高校の時と比べて感じた違いや、印象に残ったことはありますか?
富樫:2度目のアメリカだったので、そこまで大きな衝撃はなかったですね。強いて言えば、NBAの宿泊場所や練習施設は、高校の時や日本のチームと比べてだいぶ充実していました。
逆に高校時代は「同い年でこんなに身体能力が違うのか」「ここまで身長差があるのか」と、驚くことばかりで戸惑いましたが(笑)。加えて当時のチームメイトや、対戦した他校の選手がそのままNBAプレーヤーになったりしていたので、レベルは段違いでしたね。
それ以外の部分では、想像を超えるわけでも、下回るわけでもなかったと思います。
ーやはり体の大きさ、力強さという部分は日本人と比べるとスケールの大きさが違いますよね。そういった体格差の壁があったからこそ、高速ドリブルやフローターシュートなどを武器とした、現在のプレースタイルが出来上がったのでしょうか?
富樫:そうですね。身長の低さを補うためにスピードやシュートを磨いていった結果、今のプレースタイルが確立された、という感じです。


ーなるほど。ではそういうプレーも含めて、富樫選手にとって2度のアメリカ挑戦を経て得た、最大の財産は何だと感じていますが?
富樫:やはり他の同世代とは違う経験を積むことができた、というところだと思います。サマーリーグ(シーズンオフに行われるNBAの登竜門と言われるリーグ)は20歳、Dリーグ(将来のNBA選手育成を目的としたリーグ)は21歳でプレーすることができましたから。
ただ、人と違うことをやりたくてアメリカに挑戦したわけではなく、若い時から既に「上の舞台でやりたい」と思っていたからこそ、今の自分につながっていると思います。
15歳でのアメリカ挑戦に加えて、日本に帰国後、大学に進学せずにプロのキャリアをスタートさせたこと。この2つは富樫勇樹というバスケットプレーヤーにとってのターニングポイントであり、1人の人間として成長できたことにおいても大きい選択だったと思います。

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