Ichiro cũng thích đá quý! Yamamoto Masa nói "Bí mật của Bimoro Spike" Vol.1 "Khi tôi ném một quả bóng tôi đã phá vỡ, Prototype 1 đơn vị"
Người ta nói rằng đào tạo năm ngoái là lý do tại sao chúng tôi bắt gặp một cuộc tư vấn bất ngờ với ông Ikeda về King King "King". Bimoro? Đó là người quảng bá K, người đã nghĩ về nó, nhưng anh nghe thấy lựa chọn của người mà anh đã thiết lập như một bộ phận kể chuyện và nhảy lên. Đó là bởi vì người nói về những đôi giày không quen thuộc của Vimoro là ông Yamamoto Masao của cựu Chunichi Dragons, người là huyền thoại về thế giới hình cầu tiếp tục hoạt động cho đến 50 tuổi.
Vàng Daren
|
2017/02/22
『1球投げたら壊れてしまった、プロトタイプ1号機』
――ご無沙汰しております!
山本:?
――以前、古田敦也さんにまつわるお話を、ということで取材をさせていただきましたカネコと申します。山本さんと同い年。法政二高が甲子園に出た時のレフトだった小野里君と同じクラスの…。
山本Giáo dụcあ~、あのときの! 覚えてる、覚えてる。法政二高行きたかったんですよって話、しましたもんね。あれ、いつごろでしたっけ?
――10年近く前かな?ではさっそく本題に入らせていただきます。山本さんが現役時代の晩年に愛用された『ビモロ』というスパイクについてです。これ、鳥取にあるスポーツジム、『ワールドウィング』が製作してるんですよね?
山本Giáo dụcぼくも一応、開発者の一人です。
――えぇ~、そうなんですか?
山本Giáo dụcそもそも『ワールドウィング』についてはご存じですか?
――もちろんです。スポーツライターであそこを知らない人間はいないでしょう。実はわたしも、騎手の福永祐一さんが落馬事故からのリハビリを『ワールドウィング』でした際、暇つぶしの相手もかねて入門したことがありまして。創始者の小山裕史さんが提唱する「初動負荷理論」のすごさも体験させていただきました。イチロー選手が利用しているということでも有名ですよね。
山本Giáo dụcぼくも長年お世話になっているんですが、2011年だったかなあ、足首を脱臼してしまったことがあって、その時、小山先生が『マサ君の足首に負担がかからないようなスパイクを開発したいんだけど』とおっしゃってくれたんです。
――え? ということは、ビモロの野球スパイクというのは、そもそも山本さんのために作られたものだったんですか?
山本Giáo dụcですね。小山先生が作ってくれた試作品をぼくが履く。そのうえで、ここをこうしたらいいとか、試行錯誤を繰り返して。で、13年のシーズンから履くようになりました。
――プロトタイプ1号機を履いた時はどんな感じでした?
山本Giáo dụcすぐ壊れました(笑)
――あらま(笑)
山本Giáo dục最初に先生が作られたのって、スパイクを買ってきて裏を剥がして、試作のソールを張り付けるやり方だったんです。プラスチックに孔をあけて、そこに刃を一本一本埋めていく。それを、裏を剥がしたスパイクに接着テープで張り付けて、まずはコンクリートの上や土の上を歩いて。
――ほう。
山本Giáo dụcで、いい感じですねってことになって、じゃあ投げてみましょうか、と。投げたら1球で壊れました(笑)
――まるでダメじゃないですか(笑)
山本Giáo dụcいや、あの段階では強度よりも、刃の本数とかつける角度とかを探る方が第一だったので。それよりもビックリしたのは、突き上げがまったくなかったことでしたね。ぼくの場合、そこが一番ナーバスになるところで、少しでも刃からの突き上げが感じられるとダメなんです。
でも、小山先生の試作品は、普通のスパイクより刃の本数が多いにも関わらず、まるで突き上げがなかった。あと、スパイク自体が軽かったのにもビックリしたかな。
――サッカーの世界ですと、スパイクに軽さを求める選手は珍しくありませんが、野球でも軽さは大切なんですか?
山本Giáo dục高校時代なんかは、ピッチャーは安定感があった方がいいから、なんて理由で厚めの革底の重たいスパイクを履いていました。なので、プロに入ってしばらくしてから、軽量モデルが出てきたので履いてみたら、これがすごくいい。
ただ、小山先生の試作品は、ぼくがそれまで履いてきたものと比べても明らかに軽かった。プロトタイプ1号でこんなにいいものができるのかって、感心したのを覚えています。いまから思うと、あの段階で市販化されることになるモデルの8割方ぐらいはできていましたね。
――耐久性はゼロだったけど?(笑)
山本Giáo dụcそうですね(笑)
(Vol.2へ続く) http://king-gear.com/articles/269
山本:?
――以前、古田敦也さんにまつわるお話を、ということで取材をさせていただきましたカネコと申します。山本さんと同い年。法政二高が甲子園に出た時のレフトだった小野里君と同じクラスの…。
山本Giáo dụcあ~、あのときの! 覚えてる、覚えてる。法政二高行きたかったんですよって話、しましたもんね。あれ、いつごろでしたっけ?
――10年近く前かな?ではさっそく本題に入らせていただきます。山本さんが現役時代の晩年に愛用された『ビモロ』というスパイクについてです。これ、鳥取にあるスポーツジム、『ワールドウィング』が製作してるんですよね?
山本Giáo dụcぼくも一応、開発者の一人です。
――えぇ~、そうなんですか?
山本Giáo dụcそもそも『ワールドウィング』についてはご存じですか?
――もちろんです。スポーツライターであそこを知らない人間はいないでしょう。実はわたしも、騎手の福永祐一さんが落馬事故からのリハビリを『ワールドウィング』でした際、暇つぶしの相手もかねて入門したことがありまして。創始者の小山裕史さんが提唱する「初動負荷理論」のすごさも体験させていただきました。イチロー選手が利用しているということでも有名ですよね。
山本Giáo dụcぼくも長年お世話になっているんですが、2011年だったかなあ、足首を脱臼してしまったことがあって、その時、小山先生が『マサ君の足首に負担がかからないようなスパイクを開発したいんだけど』とおっしゃってくれたんです。
――え? ということは、ビモロの野球スパイクというのは、そもそも山本さんのために作られたものだったんですか?
山本Giáo dụcですね。小山先生が作ってくれた試作品をぼくが履く。そのうえで、ここをこうしたらいいとか、試行錯誤を繰り返して。で、13年のシーズンから履くようになりました。
――プロトタイプ1号機を履いた時はどんな感じでした?
山本Giáo dụcすぐ壊れました(笑)
――あらま(笑)
山本Giáo dục最初に先生が作られたのって、スパイクを買ってきて裏を剥がして、試作のソールを張り付けるやり方だったんです。プラスチックに孔をあけて、そこに刃を一本一本埋めていく。それを、裏を剥がしたスパイクに接着テープで張り付けて、まずはコンクリートの上や土の上を歩いて。
――ほう。
山本Giáo dụcで、いい感じですねってことになって、じゃあ投げてみましょうか、と。投げたら1球で壊れました(笑)
――まるでダメじゃないですか(笑)
山本Giáo dụcいや、あの段階では強度よりも、刃の本数とかつける角度とかを探る方が第一だったので。それよりもビックリしたのは、突き上げがまったくなかったことでしたね。ぼくの場合、そこが一番ナーバスになるところで、少しでも刃からの突き上げが感じられるとダメなんです。
でも、小山先生の試作品は、普通のスパイクより刃の本数が多いにも関わらず、まるで突き上げがなかった。あと、スパイク自体が軽かったのにもビックリしたかな。
――サッカーの世界ですと、スパイクに軽さを求める選手は珍しくありませんが、野球でも軽さは大切なんですか?
山本Giáo dục高校時代なんかは、ピッチャーは安定感があった方がいいから、なんて理由で厚めの革底の重たいスパイクを履いていました。なので、プロに入ってしばらくしてから、軽量モデルが出てきたので履いてみたら、これがすごくいい。
ただ、小山先生の試作品は、ぼくがそれまで履いてきたものと比べても明らかに軽かった。プロトタイプ1号でこんなにいいものができるのかって、感心したのを覚えています。いまから思うと、あの段階で市販化されることになるモデルの8割方ぐらいはできていましたね。
――耐久性はゼロだったけど?(笑)
山本Giáo dụcそうですね(笑)
(Vol.2へ続く) http://king-gear.com/articles/269
取材協力/株式会社デラモンテ、株式会社MPandC
写真/ 瀬川泰祐
<Tôi muốn đọc nó cùng nhau>
Shozo Matsuoka nói về giày đi bộ Mizuno LD 40IV "Đối với các vận động viên, thiết bị là một vũ khí để giành chiến thắng. An toàn cần thiết cho giày"
Phỏng vấn Yuya Osamu Vol.1 "Sân vận động Kashima là một nơi tuyệt vời và tôi có một cảm giác đặc biệt"
『プーマ新作スパイクevo TOUCH J 発表会にキングカズ&ゴン中山登場』
Yoshiki Sakaguch phỏng vấn Vol.1 "Mục tiêu là để tăng băng ghế dự bị báo chí 50kg trong năm!"
写真/ 瀬川泰祐
<Tôi muốn đọc nó cùng nhau>
Shozo Matsuoka nói về giày đi bộ Mizuno LD 40IV "Đối với các vận động viên, thiết bị là một vũ khí để giành chiến thắng. An toàn cần thiết cho giày"
Phỏng vấn Yuya Osamu Vol.1 "Sân vận động Kashima là một nơi tuyệt vời và tôi có một cảm giác đặc biệt"
『プーマ新作スパイクevo TOUCH J 発表会にキングカズ&ゴン中山登場』
Yoshiki Sakaguch phỏng vấn Vol.1 "Mục tiêu là để tăng băng ghế dự bị báo chí 50kg trong năm!"